わかば園についた八代は、ばんじゅうを乗せた台車をひっぱり園内に向かった。
「東さん、ありがとうございます!」
 吉岡が待ってましたとばかりに八代を出迎える。その横で、早速職員が検食をし、その魔法効果に部屋にいた全員が驚いた。
「これは不思議だ! 火花が散ったぞ。東さん、これはいったいどういう理屈でこんな風になるのですか」
 早く帰りたいが、説明だけはしておいたほうがいいだろう。
「それはですね、火イチゴと……」
 手早く説明をしようとする八代を遮るように、吉岡がポン、と手を打った。
「そうだ! 東さん、これを子どもたちの前で説明してくださらんか。私たちの又聞きよりも、店員さんからの話のほうがこどもたちにもいい経験になるでしょう」
「え、ええっ」
 いつの間にか八代の肩が、吉岡の両手でがっしりと捕まれている。
「ほんの少し、ほんの少しの時間でいいのです、子どもたちのために、ご協力願えませんでしょうか」
 八代は迷った。本音を言えば、すぐにでも店に戻りたい。しかし、ビジネスの面では、園長のことを無下にするのも惜しいと考えていた。なにせ保育園は地域密着の施設である。『ピロート』のお菓子を子どもたちが気に入ってくれれば、将来のお客になる可能性は大いにある。
(……蒼衣よ、店の発展のために耐えてくれ!)
 八代は心の中で親友に祈りを飛ばしつつ、吉岡の言葉に頷いた。

 ***

 八代の戻ってこないピロートは、地獄絵図のようだった。
 蒼衣は順番に接客をするよう努めているが、一人きりではやはり限界があった。ショーケースのピースも、当日販売分のホールもあっという間になくなっていくし、普段のケーキを買いに来たお客や、イートインのことを尋ねるお客にも頭を下げなければならなかった。それも、四方八方から声がかかるものだから、どのお客が先なのかの判断も蒼衣には難しかった。
 おまけに、いくら仮眠を取っているとはいえ、昨日からずっと働きづめで疲労がたまっている蒼衣は、注文数を間違えたり、レジの打ち間違いなどのミスが増えてきてしまった。
 予約のものですら、お客の控えと伝票の照合がスムーズにいかない。焦れば焦るほど、精度は落ちていく。
 次第に、順番を待つお客から不満の声や、舌打ちが聞こえ始めた。
「客をこんなに待たせるならもういいわ」
 そして、叩きつけるように吐き捨て、出て行くお客を見た瞬間、蒼衣はもうだめだと頭の中で思った。ほかのお客の視線が針のむしろのように感じる。
 お客に喜んでもらうためのケーキ屋なのに、いらだたせてしまったことが悲しいし、店員のはずなのに上手に立ち回れない自分が心底情けなく感じた。
 店全体がクリスマスの華やかな雰囲気とはほど遠い、とげとげしい空気になった、そのときだった。
「あおちゃん、盛況じゃの~」
「ここにいるひとたちみんなケーキを楽しみにしとるんじゃろうな。あおちゃんのケーキは美味しいからの」
「あおちゃん、助けにきたなも」
 しゃがれた年配の女性の声が三つ、店内に響いた。
 開け放たれたドアには、ヨキ、コト、キクの三人の姿があった。
「おばあちゃんたち……?」
 蒼衣はとっさに「喫茶はやってないんです」と言ったが、三人は首を横に振った。しっかりとした足取りで店内を進んでいく姿に、周りのお客は思わず三人を避け、道を作った。
 よく見ると、彼女たちは普段の服の上にエプロンや割烹着を着ている。
「あおちゃん、今日はワシらお客じゃなくて、ここの従業員にさせとくれ」
「一人であたふたしとるあーちゃんを見てたら、いてもたってもいられんでの」
「わしら、もともと商店街で店をやっとったのを忘れたか? 売るのは得意じゃ。それに、あおちゃんからクリスマス商品の話はたんと聞いたからの。案内もばっちりじゃ」
 蒼衣の返事も待たず、ヨキとコトはするりとカウンターに入り込み、接客を始めてしまった。慌てて蒼衣が止めようとしたが、「ばっちりだ」と言っていた通り、二人はクリスマス商品のことを熟知していた。控え通りに商品を渡し、レジの操作も迷いがない。キクは売り場で予約客と当日客の案内をして、店内が混乱しないように誘導しはじめた。
 結果、三人は先ほどの蒼衣よりもてきぱきとした態度でお客をさばき、店を回し始めてしまったのだ。
 その姿に蒼衣が呆然としていると、厨房のドアが開いた。八代が戻ってきたのだ。
「すまねえ蒼衣、今戻ったってうおおおい!? ばーちゃんたちなんでここにー!?」
「わしら今日だけここの従業員じゃ」
「どうでもいいから早くあおちゃんにケーキ作ってもらえや」
「お駄賃はケーキセット無料券百枚でええぞ。ほれ八っちゃんもはよ働かんかい」
「どういうことー!?」
「おばあちゃんたちは僕を助けてくれたんだよ。このまま続けてもらおう!」
 今ここで三人を追い出されては困ると思った蒼衣は、大人げなく悲鳴のような声を上げた。自分でも社会人としてはおかしいことを言っているような気がする。しかし、どう見ても仕事ができるのは三十歳の蒼衣ではなく、喜寿を越えた三人のお年寄りのほうだ。
「蒼衣まで!? しゃあねえ、とりあえずそこまで言うなら頼むわ、ばーちゃんたち! 蒼衣、おまえはケーキを作れるだけ作れ!」
「了解っ」
 ここぞとばかりに蒼衣は調理室に駆け込んだ。

 夕方になると、仕事帰りのひとたちがどっと訪れ、一番の混雑になった。蒼衣が追加で作った当日分のケーキも、飛ぶように売れていく。そんな忙しさにもかかわらず、三人のお年寄りはてきぱきと働き続けてくれた。
 そして閉店時間が訪れた。最後の客を見送り、店を閉める。静かになった店内を見渡せば、朝にはケーキの箱でいっぱいだった喫茶スペースも、ショーケースも、綺麗さっぱりなくなっていた。
「おばあちゃんたち、遅くまでありがとうございました。とても助かりました」
 蒼衣はヨキ、コト、キクの三人に頭を下げた。
「あおちゃんが助かったんならええなも。ああ、久しぶりに働いたわい」
「どうせわしら暇じゃしな。いつもお話を聞いてくれるお礼じゃ」
「こんなこともあろうかと、あおちゃんにクリスマスのこと聞いといてよかったの~」
 和気藹々と話す三人に、蒼衣は疑問に感じていたことを尋ねた。
「あのう、ケーキの種類や値段はお話したことを覚えてるんですけど、なんで包装の仕方や、レジ操作をご存じだったんですか?」
「包装なんぞ、あおちゃんたちを見ていれば覚える。元八百屋の奥様を舐めるでないぞ」
「あおちゃんは知らなかったのかのう。ここのレジを調達したのはワシじゃ。ほれ、文房具屋だからな」
「ワシは毎年商店街の行事で人員整理の係だったからの。あんな混雑は慣れっこじゃ」
 平然と言ってのける三人に、蒼衣は目を丸くする。そして、彼女たちが商店街の『おかみさん』だったことを改めて思い出した。
「突然現れたのはびっくりしたけど、助かったのは本当だ。ありがとう、ヨキさん、コトさん、キクさん」
 八代が丁寧に頭を下げると、三人は顔を見合わせた。
「ありゃ、八っちゃんが珍しく真面目じゃ」
「やーっと大人になったかの」
「お駄賃はケーキセット無料券五百枚でええぞ、八っちゃん」
「俺はもう立派な大人だっつうの! あとキクばーちゃん、枚数増えてるぞ! ああもう、早く帰ればーさんども。暖かくして早く寝やがれ!」
 八代の言葉に、三人はハイハイ、と軽く返事をして帰り支度を始めた。それを見た蒼衣は、冷蔵庫からトライフルの予備を三個取り出し、手早く紙袋に包んだ。
「ヨキさん、コトさん、キクさん。良かったら、持って帰ってください。今日はお疲れでしょうから、ゆっくり休んでください。本当に、ありがとうございます」
 それらを一つ一つ手渡すと、三人はしわだらけの顔に慈悲深い笑顔を浮かべ「あおちゃんもな」とだけ言った。