私は急いで家の中に戻ると、固定電話で消防署に連絡した。夕霧山に迷子の子供がいること、これから颯と共に救助に向かう旨を手短に伝えた。

それから、スウェットから厚手のパーカーとジーンズに着替え、懐中電灯、ブランケット、夜食にしようと思っていた菓子パンとバナナ、颯の着替えと靴を忘れずにリュックに詰めた。

準備が完了すると、ゴツゴツと硬い鱗を足がかりにして颯の背中によじ登った。

『掴まってろよ』

私を乗せると龍は夜空へと飛び立った。

飛び立って一分も経たないうちに外宮にある我が家があっという間に小さくなっていく。

私は吹き飛ばされないように、身体を低くし、金色の鬣にしっかりしがみついた。

今日の天気は晴れ。

夜空には月もなく、満点の星空が輝いていた。龍の背に乗りながら、天体観測なんてロマンチックに違いない。龍の背に乗ることが出来るのは間違いなく巫女の特権だと思う。

地上を見下ろすと、ポツポツと夕霧村の小さな明かりが見える。颯が凍らせた池。夏になると必ず水遊びをした川。泣きながら卒業した小学校。品切ればかりの商店街。これが、颯が守る私達が暮らす小さな村だ。

昔は、こうしてよく颯の背中に乗せてもらったものだ。

しょうもない悪戯に耐え切れず私が泣き出すと颯は決まって謝罪の意を込めて、背中に乗せてくれた。

最初の内は浮遊感になれず目を回すこともあったが、次第に私はこの景色に虜になって逆に颯におねだりするようになった。

私は颯の背中から見る夕霧村の景色が大好きだった。あの頃はもっと素直に好きも嫌いも言えたはずなのに。

……いつからだろう。

颯の背が急に伸びだした頃?

声が野太く低くなった頃?

それとも現実を思い知った時?

『龍神と巫女は恋慕の情を抱いてはならぬ』

代々夕霧村に伝わる古文書にその一節を発見したのは三年前のことだ。宮司さんに頼まれて、夕霧神社の倉庫を掃除していた時のことだ。

【龍神覚書】と書かれたその古文書は、長年の劣化によりボロボロで、ところどころ黄ばんでいた。

最初は半信半疑、面白半分で開いてみたが、読み進めるうちにこの古文書が本物だということが分かった。

なぜならば、古文書には龍神はもちろん、龍神の巫女の特徴である龍鱗について記述されていたからだ。だからこそ、例の一節にたどり着いた時、私は絶望した。

颯の傍にいる以上のことは望んではいけないのだと、古文書は説いていた。

古文書を見つけて以来、私は颯への想いを押し殺し単なるお世話係に徹してきた。

果たしてそれで良かったのだろうか。

人間ではないものとして線引きされ、畏怖の対象として見られるのは、孤独と同じことなのかもしれない。

(颯はずっと寂しかったのかな……)

颯に触れられた場所が燃えるように熱くて、ともすれば涙が溢れてしまいそうだった。