「ちょっと待ってね。君のためにササミを残してあるから」


 冷蔵庫から昨晩取り分けておいたササミを出し、食べやすいよう薄く裂いてから小皿に乗せる。ヤモリは虫を食べる生き物らしいけど、なぜかこの子は人の食べ物が好きなようで、ちょくちょく私のところで食べ物を貰いに来るのだ。小皿を床に置いて白ヤモリを手から降ろすと、何故かそわそわとこちらを気にしながら、ちびちびと食べはじめた。

 この子との出会いはいつだったか。そう振り返ってみても思い出せないくらいには古い付き合いになる。とくに飼っているというわけではないけれど、ふと気づけばそばにいて、そのつぶらな瞳を一生懸命こちらに送ってくるからなんとも可愛くて。

 荻野家にいる時だけでなく、こうしてひとり暮らしをしている今も現れるということは、十中八九〝私に憑いている〟のだろうけど──まあ、実害が出ているわけではないから問題はないだろう。


「ふふ、きょとんとしちゃって」

 実際この子に救われたことは一度や二度じゃない。孤独に押し潰されそうになりそうなときは必ず傍にいてくれたし、やむにやまれぬ事情から他人と距離を取ってきた私にとっては友達のような存在でもある。この子がどんなに異様なモノであれ、この人畜無害そうなくりくりの瞳を向けられたら、追い出すにも追い出せないというものだ。


「さてと……今日は気分を入れ替えて掃除でもしようか!」


 切り替えるようにそう言って立ち上がると、白ヤモリちゃんもこちらを見上げて『賛成』とでも言いたげにぱちくり瞬きをしたように見えた。

 毎晩の夢見が悪いせいで、ここのところ睡眠不足が続いている。おかげで部屋も少し荒れてきているし、そろそろ綺麗にしないと空気がよどんでしまう。空気が穢れれば、その分だけ〝陰の気〟が溜まっていくのはこの世の理だ。多少なら問題はないけれど、放って積り積もれば厄介なことになりかねない。そういう事態は、出来るだけ事前に避けるに限る。

 まん丸の瞳でこちらを一心に見上げてくる白ヤモリに微笑んでから、私は長い髪を後ろでひとつに結い、もう一度気合いをいれて準備をはじめたのだった。