「おばーちゃん、おばーちゃんっ!」

 孫の呼びかけで、はっと我に返りました。

「どうしたの、ぼーっとして」

 私の右手を、孫娘がしきりに引っ張っています。
 おやおや、私ったらノスタルジーに浸っていたようだわ、と孫娘に大丈夫よ、の意味を表す笑みを浮かべました。

 そう、あの日からもう半世紀も経ったのね――稲荷神社の鳥居を、私は見上げます。

 優しい嘘をつく、不思議な狐さま。

 ありがとう、あなたの嘘のおかげで、私は今こうして自分の人生を歩んでいます。

 鳥居の前に、黒のクラウンが止められました。運転席から、黒いスーツに身を包んだ男――私の秘書が降りてきます。

 あら、もう次のスケジュールが入っているのね。

「先生、瑛美ちゃん、お迎えに上がりました」

 そう、あれから私はF女子学院を卒業して、大学で政治を学び、瑛さんの夢を叶えるべく議員としての人生を歩んでいたのでした。
 少しは女性の権利の向上もかなったかしら。

 奇遇なもので、私の息子が娘――つまりは私にとっての孫――につけた名前は、「瑛美」。
 瑛さんに似て、とても聡い子になったわ。
 この子が自分らしく自由に生きられる社会になるよう、まだまだ頑張らなくてはね。

 秘書が押さえてくれている車のドアの中に、瑛美を抱えて乗り込みます。エンジンが掛かり、静かに車が動き出しました。うちの秘書の運転の技術は一流なのです。

「おばあちゃん! みて、きつねさんがこっちみてるよ!」

 いつ気がついたのでしょう。リアガラスの外を、車のシートに膝立ちした瑛美が指さします。

「いけませんよ」と言いつつ、リアガラスを振り返ると、そこには、




――瑛さんが立っていました。




 高校生の時の姿のままで。



――よくやってるじゃない。


 そんな風に言いたげなまなざしで、二条と名乗ることになった旧姓・井嶋皐月と、孫娘の二条瑛美を見つめているのです。

「ばいばいって、いいたいのかなぁ」

「……そうね、きっと、そうだわ」


 瑛美の声に応えるように、手を振る瑛さん。

 その姿がだんだんと小さくなっていくのを、私はいつまでも手を振りながら見つめていたのでした。



(完)