残されたのは一葉の私宛の手紙でした。

『この手紙が届いている頃には、私は逮捕されているかもしれません』

 それから、皐月さんに嘘をつくことになってしまって心苦しいということがまず書かれていました。
 しかし瑛さんは運動に参加しないではいられないのでした。
 なぜなら女性も男性と平等に政治に関する意見を堂々と述べることが許されるべきだと、彼女は信じていたからです。
 F女子学院で教わることとは対照的でした。
 彼女には強く世間に訴えかけたいことが、両手の指では数え切れないくらいあったのです。
 その最たる者が、女性はただ男性に従属するだけの存在ではない、というものでした。
 だから彼女は立ち上がったのです。

 なんてことだろう――私は熱いため息をこぼしました。
 瑛さんは私に嘘をついたの?
 そんな思いで、手紙の続きを読みます。
 手紙の続きをここにそのまま引用しましょう。


『これを読んであなたは私を馬鹿だと思っているでしょうね。今までさんざん私があなたたちを馬鹿にしてきたのに、結局一番の大馬鹿者は私でした。

 皐月さん、あなたには嘘をついたことになります。心の底から私は自分を卑怯者だと思います。

 しかしそれは、あなたを大切に思ってのことです。

 あなたを決して巻き込みたくない。
 私は人生を賭けて今度の運動に加わる覚悟です。

 それを知ればあなたはどうするか? きっと当日大学へ駆けつけてでも私を止めるでしょう。そんなことになれば何も分かっていないあなたも巻き添えを食らって怪我をするかもしれません。
 だから、さっき(これを書いているのは、水曜日です)あの神社でお祈りしました。
 決して私の一番大切な友人の井嶋皐月さんが、大学へ来ることがないよう、お守りくださいと。
 明日木曜日はXデーのための準備に丸一日取りかかるので、外出は一切禁じられています。なのでもうしばらくあなたと会えることもなさそうね。

 あなたは私が人生ではじめてできた女性の友人です。きっとこの手紙が届くことには私は逮捕され、当然F女子学院を退学になっているでしょうから、この手紙をあらかじめあなたに送ります。逮捕後にあなたに手紙を送ったならば、あなたまで疑われちゃうものね』


 瑛さんの馬鹿。

 逮捕されるかも? 何を脳天気なことを――あなた、死んじゃったのよ。
 逮捕くらいで済むって思っていたの?
 命よりも大切な「思想」なんてものが果たしてあるの?


 手紙を握りしめたまま、私は布団の上で泣き崩れたのでした。
 顔の皮膚が涙で溶けてしまうのではないかと思うほど。



 ひとしきり泣いてから、おや、と思いました。


 水曜日――?



 私が最後に瑛さんを神社で見かけたのは、木曜日のことでした。
 手紙によればそれは瑛さんが外出を禁じられている日です。
 瑛さんはその中を無理に会いに来てくれたのでしょうか?
 それにしてはできすぎです。
 どうして私が神社にいると分かるのでしょう?

――あれは瑛さんじゃなかった?

 心臓がひやっとしました。ひょっとしてあれは瑛さんではなかったのかもしれない。


 しかしいずれにせよ、どうだっていいことなのです。

 もう、阿方瑛子はこの世にいないのですから。
 私が何を言おうと、何を思おうとも、彼女はこの世には、もういないのです――。


***


 翌日から学校に復帰しました。けれど、またしてもぽっかり空いた前の席同様、私も抜け殻同然でした。無感動に無表情に、家と学校の往復を繰り返しているだけでした。
 世界から全ての色が失われ、全ての音楽が損なわれていました。味気ない香りもない、無意味な世界が、大きな口を開けて私を飲み込んだのです。
 F女子学院という花園で育った私は、そういった種類の衝撃に対しあまりにも無防備でした。何をどうすればその悲しみと折り合いをつけられるのか、さっぱり分かりませんでした。