「もしもし」

 戸惑いながらも母の差し出す受話器を受けとりました。そのまま台所へと戻っていきます。

「ねえ、平気?」

 挨拶もなしに安否を問うその声は、

「瑛さん!?」
「しーっ! 何のために神宮司加世子を名乗ったと思ってるのよ。あんたのお母様の目をごまかすためでしょ」
「え、そういうこと!?」
「お母様方のネットワークってすごいんだから」

 なるほど、瑛さんは策士でした。
 さすがは革命を志す男のそばにかつてはいた女です。

 ちょっと不安になって廊下の奥を覗き込みましたが、母は台所の奥にいるようで、こちらの会話が聞かれている恐れはありません。

「反省文、1週間分ぐらい書きためた?」

 まったくいつも通りの軽口でした。

「1ヶ月分は書いたわよ」

 負けじと応酬。実際のところ、ほとんど何も書いてはいませんでしたが。

「あんたもなかなか骨のある女よね。曽根を殴るなんて」
「殴るって程のものじゃないわよ。突き飛ばしたくらいなの、実際のところは」
「じゅうぶんよ。さぞかしひるんでいたでしょう、曽根は」
「顔なんか見る余裕なかったわ」

 受話器の向こうで瑛さんは楽しそうに笑っていました。でも……。
 瑛さん、私に何か隠し事しているわよね……?
 こんな風に聞くべきかどうか。
 実際は曽根と瑛さんは「同士」などではなく、立派な「恋人」だったという曽根の言葉は本当なのか。
……うーん、今さらこんなこと聞いても仕方ない気がするわ。

「そんなことより、」

 私は自分自身の思考を断ち切る意味合いも含めて、こう切り出しました。自分の思考の整理の仕方がよくわからなかったうえ、真っ正面から瑛さんの心の中に飛び込む勇気もなかったのです。

「曽根のメモを拾ってしまったわ」
「メモ?」

 今となっては、そんな風に率直に吐露したことを激しく後悔しています。メモなんて破り捨てれば良かった。誰にも気づかれないように、びりびりに引き裂いて燃やしてしまえば良かったのです。
 よりによって、瑛さんにメモの中味を全て話してしまうなんて、なんて私はおもろかだったのでしょう。

 瑛さんは詳細な説明を求めました。求められるがままに私も答えました。
 その時はスリリングな話題を瑛さんとの間で共有することで一種の”共犯関係”――ヒミツの堅い友情を結ぶ一助になると固く信じていたのです。
 それは私はまだ瑛さんとの間の信頼関係や友人関係を確信できずにいた、まさにその証拠だと言えるのではないでしょうか。
 もっともっと、瑛さんと深い絆で結ばれたい。
 もっともっと、瑛さんの心の奥底深くを覗き込んでみたい。
 片思いにも似た感情で、私はメモの全てを口走っていました。