その日からというもの、阿方瑛子は――いえ、もうこの呼び方はやめましょう。時間が経つにつれ、徐々に私は彼女を「瑛さん」と呼ぶようになっていたからです。「さん」付けなのは母校の風習です。あだ名を付けた場合も必ず「さん」を付けなくてはならないという校則があったのです。今思えばなんてつまらない校則なんでしょうと呆れますが。
 瑛さんと私はよく休み時間中に話しました。瑛さんが授業で遅れている部分を教えたり、うわさになっているゴシップを教えたり、そんなところです。登下校も自然と共にするようになっていました。
 私が自然と瑛さんと接するうちに、周囲の女子生徒達も少しずつ瑛さんに冷たい眼差しを投げるのを辞めました。自主的に話しかける子までも現われ出しました。するとどうでしょう。はじめは周囲の女子生徒を馬鹿にしていた瑛さんも、徐々に笑顔を見せ、心を開くようになったのです。これは大きな進歩でした。
――良かったわ。瑛さんも私たちF女学院の一員になりつつある。きっとあの胡散臭い大学生の団体と縁を切るのも時間のうちだわ。
 そんな風に誤解してしまうくらいには、瑛さんの態度は少女本来のものらしくなっていたのでした。