これが、その後何十年経っても心に刻まれ続ける、阿方瑛子と初めて話し、かつ極めて胡散臭い男子大学生・曽根純夫と初めて会った日なのでした。
 まさかこの出会いが私の人生を大きく変えることになるとは、夢にも思っていませんでしたが。


 聞いたばかりの時はよく呑み込めませんでしたが、やはり曽根純夫はO大学の他近隣の大学生で結成された学生運動のグループの一員のようでした。
 グループが定期的に開く「勉強会」に学校へ行かずふらついていた阿方瑛子が曽根純夫に誘われ参加するようになったようです。
 阿方瑛子が一人煙草を吹かしていた喫茶店で運動員たちは結集していたようです。そこで「体制打破」だの「大学解体」だのといった言葉を交わしていたと聞いています。

 むろん私はそんな彼らと交じりたくはなかったので、阿方瑛子から間接的に喫茶店での様子を聞くばかりだったのですが。


「皐月さん!」

 その翌朝のことでした。朝教室へ着くと、級友たちが一斉に私のもとへ駆けてきたのでした。

「昨日、どうだった?」
「ひどい目に遭わなかった?」
「嫌な思いをしたんじゃない?」
 口々にそう言われ、私は大笑いしてしまいました。
「まさか。そんなわけないわ。私、平気よ」
「ほんとうに?」
「ええ。私の心配をしてくれるのは嬉しいのだけど、ちょっとは阿方さんの心配もして差し上げて?」
 それは本音でした。どうして私の心配だけで、学校に来なくなった当の阿方瑛子を気遣わないのだろう?
「あら……」
 その指摘に彼女たちは多少自らを恥じたようでした。

 阿方瑛子が久方ぶりに学校に姿を現したのはまさにその折りでした。
 むすっとふてくされたような表情で、何も入っていないかのような薄っぺらい鞄で、でも気後れすることなく堂々と教室に入ってきたのでした。
 思わずあたりはしんと静まりかえります。
 ひそひそと、教室の隅で「阿方さんだわ」「やっと来られたのね」と囁き合う声が聞こえてきます。

 全く、どうして女子は相手に悟られるようにひそひそ話をするのでしょうね。