しかしそこで彼女はばっと顔をこちらに向け、身を乗り出してきました。

「何より癪に障るのは、自分たち一族のルーツに引け目を感じてるところ。信じられる? あいつら、農家や貧乏人を馬鹿にしているの。努力しない奴はばかって。自分たちのルーツを否定したくて仕方ないの。私はその小道具よ」

 あいつら、が具体的にどこまでを指すのか――彼女の父親と母親なのか、上京した親戚一家全員のことなのか――いまいちわかりませんでした。
 でも間違いなく阿方瑛子はいつになく興奮していました。感情をむき出しにしていました。
 さっきまでの、さっきまでの、あるいは普段学校で見せるクールさとの落差に、私はびっくりして口も聞けませんでした。

「……って、こんな話あんたにしたってむだね」

 はっと目が覚めたように、阿方瑛子は声のトーンを落とします。
 このまま話を切り上げられてはならないわ、と私は自分の身の上話を切り出しました。

「うちだって似たようなものよ。父は一代で事業を興していて、戦前は貧乏一族だったようだから。でも引け目なんて私、感じたことない」

 思いがけない私の告白に、阿方瑛子は目を丸くしました。まさか自分と同じ境遇の人間が学内にいるなんて想像もしなかったのでしょうか。でもすぐにその表情を引っ込めてしまいました。

「あんたは脳天気だから、何も考えずにいられるのよ」
「脳天気かしら、私?」
 自分ではまったくそんな風に思ったことはありません。
「じゃあ聞くけどね、あの学校を卒業してあんたは何になるつもりなの?」

 まるで子どもが喧嘩をふっかけてくるような物言いに、思わず吹き出しそうになりました。F女学院でこんな声はどこにいても聞こえてくることはありません。なんだか懐かしいのです。
 でも当然、実際に笑い出したりはしませんでした。彼女を違った方向に怒らせてしまいそうだったから。

「そりゃ、良き妻賢き母よ」
「ふん、どうせそんなことだろうと思ったわ。くっだらない」
「下らない!?」
「そんな古くさい生き方を受け継ぐような人がいるから、いつまでたっても女性の権利が向上しないのよ」
「社会進出だけが正義じゃないわ。家にいる妻や母がいるからこそ、お仕事を頑張れる男性がいる。社会は良妻賢母が支えているのよ」
「内助の功ってやつ? それはあんた自身の意見? そうじゃないでしょ。大人から――いえ、男の大人から、都合のいい論理を吹き込まれているだけよ」
「……」

 閉口してしまいました。
 良妻賢母が日本を支えます――それは単に学校や周りの大人が女子教育として我々女子に幼い頃から吹き込んできたことばでした。

 それを私の意見だと言えるでしょうか?