MoonBeamsでの紗枝さんのライブ当日――
身内だけのちょっとした余興よ、と言っていたが、この店にこんなに人が入っているのを見たことがない。店内奥の角に簡易ステージが設置され、そこを囲む客は総勢二十人ほど。ほぼ満員で立ち見が出るほどの盛況である。僕もカウンター横の壁際に立って「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」の演奏を聴いている。
紗枝さんの歌は、音程、リズムにきっぱりと妥協なく、はっきりとした意志を持って前に出て来る。そのくせ、奥行きのある深い音色で、胸に響いてくる。なんだか迷いが晴れてくるような、そんな感じになる。何より、上手い。引き込まれる――
歌の世界に身をゆだねながら、最近の出来事を思うともなく思っていた。歌が上手になりたい。その思いが強くなっていくほどに、どうしてこんな声なんだろう、という問いかけの中に迷い込んで行った。出口はみつからない。出来ようが出来まいが、地道に練習を重ねて行くしか方法がないこともわかっている。でも、持って生まれた物の差、才能の違いに打ちのめされるばかり。なのにどうして、それなのに、歌いたいんだろう?
すると西川代表が語った暴走の経緯が、状況は違えど、僕自身の問題となんだか重なるように頭に浮かんでくる。そうか。違う。上手く歌いたいわけじゃない。それもあるけれど、本当は、自分らしく歌いたい。この声は自分じゃない、という根本的な違和感が消せないのである。
関係ない、単なるとばっちり、と思っていた無笑会の騒動は、確かに「鏡」だった。ここに僕自身の問題も投影されていたのだ。ただ、まだ自分の問題についてはよくわからない。自分が見えていない、本来の姿が見えずに迷っている、ということは、僕も会と同じように「存在自体が歪んで矛盾したもの」だからなのだろうか?
でも、確かなことがある。騒動後の西川代表は、何だか別人のような話し方で、笑顔さえ見えた。憑き物が落ちたかのように。そして、今、僕自身も「それ」を必要としているのである。紗枝さんの占いは確かに当たっている。
――「憑き物」のせいで、見えるべき時が来ないと見えないものなの
紗枝さんの言葉を思い起こす。その通りだ。でも、どうやって?
身内だけのちょっとした余興よ、と言っていたが、この店にこんなに人が入っているのを見たことがない。店内奥の角に簡易ステージが設置され、そこを囲む客は総勢二十人ほど。ほぼ満員で立ち見が出るほどの盛況である。僕もカウンター横の壁際に立って「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」の演奏を聴いている。
紗枝さんの歌は、音程、リズムにきっぱりと妥協なく、はっきりとした意志を持って前に出て来る。そのくせ、奥行きのある深い音色で、胸に響いてくる。なんだか迷いが晴れてくるような、そんな感じになる。何より、上手い。引き込まれる――
歌の世界に身をゆだねながら、最近の出来事を思うともなく思っていた。歌が上手になりたい。その思いが強くなっていくほどに、どうしてこんな声なんだろう、という問いかけの中に迷い込んで行った。出口はみつからない。出来ようが出来まいが、地道に練習を重ねて行くしか方法がないこともわかっている。でも、持って生まれた物の差、才能の違いに打ちのめされるばかり。なのにどうして、それなのに、歌いたいんだろう?
すると西川代表が語った暴走の経緯が、状況は違えど、僕自身の問題となんだか重なるように頭に浮かんでくる。そうか。違う。上手く歌いたいわけじゃない。それもあるけれど、本当は、自分らしく歌いたい。この声は自分じゃない、という根本的な違和感が消せないのである。
関係ない、単なるとばっちり、と思っていた無笑会の騒動は、確かに「鏡」だった。ここに僕自身の問題も投影されていたのだ。ただ、まだ自分の問題についてはよくわからない。自分が見えていない、本来の姿が見えずに迷っている、ということは、僕も会と同じように「存在自体が歪んで矛盾したもの」だからなのだろうか?
でも、確かなことがある。騒動後の西川代表は、何だか別人のような話し方で、笑顔さえ見えた。憑き物が落ちたかのように。そして、今、僕自身も「それ」を必要としているのである。紗枝さんの占いは確かに当たっている。
――「憑き物」のせいで、見えるべき時が来ないと見えないものなの
紗枝さんの言葉を思い起こす。その通りだ。でも、どうやって?