けれど、冷静になってみると迷うのである。
 初対面で理解不能な変質行為を働いてきたカジ谷君に、そのカジ谷君の依頼で、赴く先に待っているのが得体の知れない集団、と来れば、十人に聞いたら十人とも「やめとけ」と言うのはまず絶対確実である。うっかり、のほほんと出向いたりしたら何をされるかわかったものではない。
 行く義理はないし、占いだって信じる根拠もない。どう考えても行く理由がみつからない。
 (たまたま、カジ谷君がキーワードを言っただけで、単なる偶然だ)
 (暗示にかかって、そういう方向に勝手に解釈しているだけだ)
 一日経つと、そんな考えが支配的に頭を占領していた。そうなるのが当然だ。
 でも、気になっているのも事実だった。
 きっかけは訪れる――「きっかけ」とは、本当にカジ谷君のことなのだろうか。あまり関わってはいけない信号は感じたのだけれど。
 それでも、そこへ行けば、鏡とやらが見つかるのだろうか。たとえ鏡をみつけても、更にその上「憑き物」である。何だかおどろおどろしい。「見えるべき時」というのも、いつのことを指すものなのか。
 謎だらけであった。僕は、自分の部屋の真ん中に寝転がって、悶々と悩んでいた。
 ここ、杉浦荘は、二階建ての相当に古い建物で、各階五部屋ずつ計十部屋のアパートである。各部屋はそれぞれ四畳半一間。簡易な台所設備はついているがトイレは共同だ。風呂はないので、近所の銭湯を利用している。
 僕の部屋は一階の向かって右端で、幸い現在は隣と上、斜め上も空室で、実質「離れ」の状態である。学生課で「一番安い物件」の条件で提示された中から選んだのだが、決め手はこの隣接する部屋の状況だった。ギターを弾くのに多少なりとも気を使わなくて良さそうだ、と思ったからである。まあ、防音の点では壁があってもなくてもあまり変わらず、実質は気分的な優位性に過ぎなかったのであるが。実はこの杉浦荘、来年には取り壊しの予定で、現在新規入居者の募集は行っておらず、現在住んでいる、僕を含む四人が杉浦荘最後の住人「四天王」なのだった。どうせ壊すから、と、室内の改造は「常識の範囲内で」自由となっているのも魅力だ。と言っても僕は壁にギター用のハンガーを取り付けたくらいで、他は特に何もしていないけれど。
 今夜は三日連続のインスタントラーメンだった。申し訳程度に、卵としなびたキャベツを入れるのがせめてもの抵抗である。ギターを買ったせいで生活費が苦しくなったので、食費にしわ寄せが来ているのだった。だが、食生活が貧しいと、どうにも明るい方に考えが向かわないものらしい。