甘露ちゃんは困ってた。
自分の名前がキラキラネームなことに、ではない。
それはもう17年間生きていて慣れた。
シロップちゃんは喫茶店でバイトをしている。
「シロップちゃん4番の席にシロップポットお願い」と半笑いで言われるのにも慣れた。
シロップちゃんが憧れたのは喫茶店の制服だ。
喫茶店の制服は絵に描いたような落ち着いた方のメイドさんの制服だ。
シロップちゃんはコスプレに憧れがあったが、気恥ずかしさが挑戦への妨げとなっていた。
そんな日々の中で彼女が出会ったのがこの本格喫茶「ハーモニー」だった。
千載一遇。勇気を出して面接に挑んだシロップちゃんは見事可愛い制服とついでに時給を手に入れた。
さて、そろそろシロップちゃんの困りごとに話を戻そう。
シロップちゃんは虫が苦手だ。
ミミズにハエに蚊にアリ、蝶ですら実物は苦手だ。
その蝶とアリに困っていた。
バイト先の喫茶店の入り口のところに蝶やアリがよく来るのだ。
今日も開店準備に喫茶店の入り口に向かうと、シロップちゃんは虫を発見した。
「うわーん。店長ー! また来てますよ、虫ー!」
「うーん。今までそんなことなかったんだけどねえ。あ、シロップちゃんそのオープンの札、ちゃんと入り口に戻しておいてね」
「あっ……」
シロップちゃんは抜けている。
こういう風に物をあちこちにやってしまうところがある。
こないだは控え室においておくべきシフト表を店内に持ってきては注意され、お盆を控え室まで持って行ってしまっては注意されている。
「すみませんでしたー!」
そう言って入り口にオープンの札をかける。
シロップちゃんと喫茶「ハーモニー」の一日が始まる。
「……と言うわけで困ってるんですよね。お客さんだって虫嫌いな方はいるでしょうし」
僕に紅茶セットを運びながらシロップちゃんはここ最近の出来事を話してくれた。
喫茶店は開店したばかり。お客はまばらで、シロップちゃんが僕に話しかけていたところで困る人もそうそういない。
僕はティーポットからティーカップに紅茶を注いだ。そしてそのまま一口。
しばらくそのままの味を楽しんでから、ミルクと角砂糖は後から入れるのが僕の紅茶の飲み方だ。
「よし、その謎を解こうじゃないか……」
とかっこうをつけてみたけれど、実はすでに薄々感づいている理由があった。
問題はそれをシロップちゃんにどう伝えるかだ。
僕は少し考えて、謎の解き方を決めた。
「ところでシロップちゃん。ティースプーンもらえるかな?」
「ああっ!? 申し訳ありませんでした!」
シロップちゃんは慌てて、しかし店の中を駆けてはいけないので、ゆっくりと裏に引っ込んだ。
そして僕は紅茶をすすりながら謎を解くのに必要な材料がくるのを待った。
開店から3時間が経った。
僕はプリンアラモードを注文した。
それをつつきながら店内を見渡す。
そして僕は謎を解くのに必要な材料……アイスティーを頼んでいる客がいることを確認した。
それからさらに30分。
アイスティーを頼んでいた人がお会計のために席を立った。
シロップちゃんがレジに立つ。そしてアイスティーを頼んでいた客のお見送りをする。
深々とした礼が綺麗だ。
その足で机の片付けに向かう。
そこに僕は声をかける。
「シロップちゃん、会計をお願いできるかな」
「はい!」
シロップちゃんは元気満点の返事をして、レジに向かった。
僕のお会計を済ませ、シロップちゃんは外まで出てお見送りをする。
「ありがとうございましたー!」
「ストップ!」
深々と頭を下げようとしたシロップちゃんを僕は制した。
「???」
シロップちゃんは目を白黒とさせる。
僕はそんな彼女が手に持っているシロップポットをぐっと押さえた。
押さえすぎてシロップちゃんの胸に当たってしまった。
柔らかそうな胸にシロップポットが埋もれる。
間接的にその感触が僕の手に伝わってくる。
僕は狼狽しているのを隠しながら、かっこうをつけた。
「つ、つまりこういうことなんだよ、シロップちゃん」
シロップちゃんは抜けている。
物をあちこちにやってしまうところがある。
つまりこういうことだ。
彼女はアイスティーを頼んでいた客の机を片付けていた。
そこにはシロップポットがある。
僕はホットティーを頼むから出てくるのは角砂糖だ。
しかしアイスティーに角砂糖は溶けない。
だからアイスティーを頼んだお客の机にあるのはシロップポットだ。
そのシロップポットをシロップちゃんが持ち上げたときに、僕が会計を頼んだ。
シロップちゃんはそれを持ったまま会計に向かった。
さすがにレジ打ちの時にはレジのある机に置いていたけれど、それを片付けるためにシロップちゃんはシロップポットを持ち上げた。
しかしお見送りがある。
だからシロップちゃんはシロップポットを持ったままお見送りをして、深々と礼をして、シロップポットを傾けてしまった。
シロップポットから垂れるシロップ。
この甘味が蝶やアリが店の入り口に集まる原因になっていたのだ。
「……ああ、そういうことだったんだ」
シロップちゃんは腑に落ちたという顔をした。
僕がそれに気付いたのは、店長が今までそんなことなかったと言ったから、そしてシロップちゃんの行動をよく見ているからだ。
彼女を見ていれば、いつも見ていればそれが分かるんだ。
彼女がうっかりしていることも、深々と礼をして見送ってくれることも。
僕は常連客だから、知っている。
もちろんそんなことを彼女に対して口には出来ない僕だった。
「ありがとうございました!」
シロップちゃんが頭を下げる。
シロップちゃんは謎が解けてとても嬉しそうにしていた。
シロップちゃんの笑顔が見られて僕は幸せな気持ちで喫茶店を後にした。
「店長! 店長! 解けましたよ! 虫がやたら来る謎!」
シロップちゃんがそう言って店の中に帰っていく。
シロップポットを所定の位置に戻しながら、彼女は店長に興奮した様子で話を続ける。
「ドロップくんが解いてくれました!」
ドロップくん。それは僕の本名じゃない。
僕がよくレジの横の飴をもらっていくからついたあだ名だ。
僕はまだシロップちゃんに本名すら教えられていない。
「……まあ、いいか」
まだ僕はドロップくんだ。
謎を真実に落とし込むことができて、それをシロップちゃんが喜んでくれた。
今はまだそれだけでいい。
僕はそう思った。
了
自分の名前がキラキラネームなことに、ではない。
それはもう17年間生きていて慣れた。
シロップちゃんは喫茶店でバイトをしている。
「シロップちゃん4番の席にシロップポットお願い」と半笑いで言われるのにも慣れた。
シロップちゃんが憧れたのは喫茶店の制服だ。
喫茶店の制服は絵に描いたような落ち着いた方のメイドさんの制服だ。
シロップちゃんはコスプレに憧れがあったが、気恥ずかしさが挑戦への妨げとなっていた。
そんな日々の中で彼女が出会ったのがこの本格喫茶「ハーモニー」だった。
千載一遇。勇気を出して面接に挑んだシロップちゃんは見事可愛い制服とついでに時給を手に入れた。
さて、そろそろシロップちゃんの困りごとに話を戻そう。
シロップちゃんは虫が苦手だ。
ミミズにハエに蚊にアリ、蝶ですら実物は苦手だ。
その蝶とアリに困っていた。
バイト先の喫茶店の入り口のところに蝶やアリがよく来るのだ。
今日も開店準備に喫茶店の入り口に向かうと、シロップちゃんは虫を発見した。
「うわーん。店長ー! また来てますよ、虫ー!」
「うーん。今までそんなことなかったんだけどねえ。あ、シロップちゃんそのオープンの札、ちゃんと入り口に戻しておいてね」
「あっ……」
シロップちゃんは抜けている。
こういう風に物をあちこちにやってしまうところがある。
こないだは控え室においておくべきシフト表を店内に持ってきては注意され、お盆を控え室まで持って行ってしまっては注意されている。
「すみませんでしたー!」
そう言って入り口にオープンの札をかける。
シロップちゃんと喫茶「ハーモニー」の一日が始まる。
「……と言うわけで困ってるんですよね。お客さんだって虫嫌いな方はいるでしょうし」
僕に紅茶セットを運びながらシロップちゃんはここ最近の出来事を話してくれた。
喫茶店は開店したばかり。お客はまばらで、シロップちゃんが僕に話しかけていたところで困る人もそうそういない。
僕はティーポットからティーカップに紅茶を注いだ。そしてそのまま一口。
しばらくそのままの味を楽しんでから、ミルクと角砂糖は後から入れるのが僕の紅茶の飲み方だ。
「よし、その謎を解こうじゃないか……」
とかっこうをつけてみたけれど、実はすでに薄々感づいている理由があった。
問題はそれをシロップちゃんにどう伝えるかだ。
僕は少し考えて、謎の解き方を決めた。
「ところでシロップちゃん。ティースプーンもらえるかな?」
「ああっ!? 申し訳ありませんでした!」
シロップちゃんは慌てて、しかし店の中を駆けてはいけないので、ゆっくりと裏に引っ込んだ。
そして僕は紅茶をすすりながら謎を解くのに必要な材料がくるのを待った。
開店から3時間が経った。
僕はプリンアラモードを注文した。
それをつつきながら店内を見渡す。
そして僕は謎を解くのに必要な材料……アイスティーを頼んでいる客がいることを確認した。
それからさらに30分。
アイスティーを頼んでいた人がお会計のために席を立った。
シロップちゃんがレジに立つ。そしてアイスティーを頼んでいた客のお見送りをする。
深々とした礼が綺麗だ。
その足で机の片付けに向かう。
そこに僕は声をかける。
「シロップちゃん、会計をお願いできるかな」
「はい!」
シロップちゃんは元気満点の返事をして、レジに向かった。
僕のお会計を済ませ、シロップちゃんは外まで出てお見送りをする。
「ありがとうございましたー!」
「ストップ!」
深々と頭を下げようとしたシロップちゃんを僕は制した。
「???」
シロップちゃんは目を白黒とさせる。
僕はそんな彼女が手に持っているシロップポットをぐっと押さえた。
押さえすぎてシロップちゃんの胸に当たってしまった。
柔らかそうな胸にシロップポットが埋もれる。
間接的にその感触が僕の手に伝わってくる。
僕は狼狽しているのを隠しながら、かっこうをつけた。
「つ、つまりこういうことなんだよ、シロップちゃん」
シロップちゃんは抜けている。
物をあちこちにやってしまうところがある。
つまりこういうことだ。
彼女はアイスティーを頼んでいた客の机を片付けていた。
そこにはシロップポットがある。
僕はホットティーを頼むから出てくるのは角砂糖だ。
しかしアイスティーに角砂糖は溶けない。
だからアイスティーを頼んだお客の机にあるのはシロップポットだ。
そのシロップポットをシロップちゃんが持ち上げたときに、僕が会計を頼んだ。
シロップちゃんはそれを持ったまま会計に向かった。
さすがにレジ打ちの時にはレジのある机に置いていたけれど、それを片付けるためにシロップちゃんはシロップポットを持ち上げた。
しかしお見送りがある。
だからシロップちゃんはシロップポットを持ったままお見送りをして、深々と礼をして、シロップポットを傾けてしまった。
シロップポットから垂れるシロップ。
この甘味が蝶やアリが店の入り口に集まる原因になっていたのだ。
「……ああ、そういうことだったんだ」
シロップちゃんは腑に落ちたという顔をした。
僕がそれに気付いたのは、店長が今までそんなことなかったと言ったから、そしてシロップちゃんの行動をよく見ているからだ。
彼女を見ていれば、いつも見ていればそれが分かるんだ。
彼女がうっかりしていることも、深々と礼をして見送ってくれることも。
僕は常連客だから、知っている。
もちろんそんなことを彼女に対して口には出来ない僕だった。
「ありがとうございました!」
シロップちゃんが頭を下げる。
シロップちゃんは謎が解けてとても嬉しそうにしていた。
シロップちゃんの笑顔が見られて僕は幸せな気持ちで喫茶店を後にした。
「店長! 店長! 解けましたよ! 虫がやたら来る謎!」
シロップちゃんがそう言って店の中に帰っていく。
シロップポットを所定の位置に戻しながら、彼女は店長に興奮した様子で話を続ける。
「ドロップくんが解いてくれました!」
ドロップくん。それは僕の本名じゃない。
僕がよくレジの横の飴をもらっていくからついたあだ名だ。
僕はまだシロップちゃんに本名すら教えられていない。
「……まあ、いいか」
まだ僕はドロップくんだ。
謎を真実に落とし込むことができて、それをシロップちゃんが喜んでくれた。
今はまだそれだけでいい。
僕はそう思った。
了