その二人の絶妙な恋人なのか、友達なのか曖昧な関係にさらに疑問と取られるキャッチコピーを作った。

 作った、ではない。

 私が今回みんなのキッカケで快晴のお墓参りに行けて、自分の全てを出し尽くした、それからしばらくあとに頭に浮かんだ言葉。

 春那がくれた写真を見ながら、この言葉はやっぱり揺ぎ無く、一生私が快晴へ思うだろうことをキャッチコピーにした。


『キミが隣で笑ってくれていたから、今の私がいます』


 嵐のような広告大賞も終わり、その年は市内、きっと全国なのだろうけれど色んなところでポスターを見たし、大賞作品の爽やかな夏を感じるCMも流れていた。