放課後になった。
春那は男子校の人とデートらしく早々に帰った。征規も珍しくいない。いつも快晴と帰るのに。
窓から外を見ていると、相変わらず雨が降っている。雨なんか嫌い。前髪がうねるし、足元は濡れるし。
「待たせたな」
振り向くと、快晴がカバンを肩からぶら下げて立っていた。
「言っておくけど、私、今日はあんまり時間がないから」
嘘ではない。本当に今日、毎週水曜日は用事がある。別に言う理由がないから誰にも言わないけれど。征規はなんとなく知っているだろう。十年も友達なのだから。
「知ってるよ」
何を知っているというのだ。私のことなんか今までいないような扱いしかしなかったくせに。
「行くぞ」
快晴に言われて渋々と後に続いて教室を出た。
電車を乗り継いで向かっている先は私の家の方面としか思えない。
快晴の家とは逆方向の電車に乗り継ぎをしている。
「どこに行くのよ」
電車のつり革を掴んでいる快晴に聞く。
席がたまたま空いていて、快晴に「座れよ」と言われ、私は座って、目の前に快晴は立っている。
「お前の用事を優先しながら俺が言った意味を教える。自覚なしのバカだから」
いちいちカチンと来るけれど、一応は私の用事を優先して、私の家の方面の電車に乗ってくれているらしいから我慢する。
『次は〇〇―、〇〇―』
電車のアナウンスを聞くと
「降りるのはここでいいんだよな?」
快晴が聞いてきた。
私の家の最寄り駅より一つ前。なぜ快晴がこの場所を知っているのか。
電車のドアが開き、二人で駅に降りる。
私は行き先を一切言っていないのに、快晴はわかっているかのように駅からスタスタと私の目的の場所まで歩いている。
私の前を歩く快晴のビニール傘は迷うことなく先へ進む。
目的の場所がよく見える公園に着くと、快晴は腕時計を見ながら「まだ時間あるだろ」と言った。
なんで……知っているの?
春那だって知らない。ここに来る意味も理由も話したこともないから、当然来たことがない。
征規も知らないはず。
だから、なんで快晴がこの場所を知っているのかがわからない。
並んで屋根がある場所のベンチに腰をかけて、快晴がカバンからお茶のペットボトルを出した。
「駅で買ったからぬるいけど」
そう言って渡してきた。
まだ五月になったばかりだし、ましてや今日は雨で肌寒いくらいだから、渡されたお茶はそれほどぬるくはない。
隣に腰をかけた快晴は自分のお茶を飲みながら話始める。
「俺がお前は嘘つきなのに幸せなのか?って聞いたのは、偶然見たからだよ」
「え……?」
「そこの通りに団地があるだろ?あそこに俺の姉ちゃんが結婚して住んでいるんだよ」
指さした場所は私が水曜日に来なくてはいけない場所のすぐそば。確かに団地が並んでいるのは知っていた。
快晴は続ける。
「去年、姪っ子が生まれてさ、俺、結構来るようになったんだよ。そうしたら、お前があそこの病院の前に立っているのを見かけたんだ」
『〇〇東病院』
私が水曜日に来なければいけない場所。
妹の杏奈は身体が弱く、小さい頃から入退院を繰り返している。そのため、普通の幼稚園や小学校へ通うのはなかなか難しく、この病院内にある院内保育園に通い、卒園後もそのまま普通の小学校に同等する院内学級に現在は通っている。院内学級を卒業する頃には身体も少し良くなっているかもしれないから、普通校の中学校へ入学出来る可能性が高い。
ここへ通うのは、妹一人では無理だから毎日お母さんが送り迎えをしている。お父さんは単身赴任をしていて、かなり遠方だからしばらく顔を合わせていない。
妹が院内保育園へ通いだしてから、お母さんはパートを始めた。妹の送り迎えに合わせて仕事をしているけれど、どうしても水曜日だけは帰りが遅くなってしまう。だから私が毎週水曜日は迎えに来ることになっている。
「見た時は、雫が何でこんな所にいるんだ?って不思議だったから、声をかけようとした。でも、玄関前でお前と多分お前の母親が話しをしているのを聞いてしまったんだ。お前は俺がすぐそばにいたのに全然気が付いていなかった」
「それっていつ……?」
掠れる声で快晴に聞いた。
「多分、去年の秋かな。台風が接近していたはず。そのせいで電車もかなり遅れたりしてた」
覚えている。その日のこと。
大型台風接近の影響で交通がマヒして電車がなかなか来なくて、一時間も遅れてしまった。
慌ててここへ来たけれど、お母さんが妹を車へ乗せているところだった。お母さんは息を切らせて走ってきた私に……。
「お前の母親はお前にこう言ったんだ。『本当に役に立たない子ね。何のためにあなたはいると思っているの?』って」
快晴が言った通り。
私は役に立たない子と言われた。何のためにいるの?と。
「俺はそれを聞いて驚いたんだよ。同時に腹も立った。母親のくせに何言ってるんだよって」
8歳下の妹の杏奈の身体が弱いから家族は妹を中心に回っている。
妹のことでお母さんが『代わってあげたい』と泣いているのを小さな頃からよく見ていた。
私は妹が嫌いなわけではない。むしろ可愛いし好きだし大事だ。家族が妹を中心としているのも当たり前で、姉の私が妹の面倒をみるのも、もちろん当たり前だと思う。姉妹なのだから。
「それは、私が遅れたからであって、お母さんは何も悪くないよ」
快晴の顔が見られなくてお茶を握りしめたまま呟いた。
「お前、本気でそう思ってるのか?俺はそれを言われた時のお前の顔を見た。見捨てられたような表情だったぞ?そりゃそうだよな、そんなことを言われたら誰だって傷つくと思う。雫は口には出さないけど、妹がどうやら身体が弱いらしいとは征規からチラっと聞いていたし、それを聞いて大変なんだろうな、とは思っていたよ。お前も家族も、そして妹本人が一番辛いんだろうって」
「知っているなら、妹が一番大変なのはわかるでしょ?家族が支えてあげなきゃだめなの。私が何を言われようと、私はそんなことはいいの。妹が無事に毎日を過ごせればいい。それだけを家族は思っているの」
「だからって、お前の心を傷つけてもいいのか?妹が大変だとしても、親がお前にあんな言葉を平気な顔で言っていいのか?傘も刺さないで、ずぶ濡れになりながら走ってきた娘に言う言葉か?俺はそんなのはおかしいと思う」
そんな言葉を言われたら妹のためにって我慢していた気持ちが溢れて涙が出てきそうになってしまう。
突然、快晴は私の頭を優しく撫でた。
「雫は無理をして笑っていると思って見てた。俺たちを信用していないんじゃなくて、本当の気持ちを誰にも言えないで我慢しているんだって思ってる。これからは何でもいいから俺に言え。辛いことも悲しいことも。泣いたっていい。俺は征規や春那にすら本当の気持ちを言えないお前を受け止める。勘違いするなよ?お前に恋愛感情なんて世界が滅びてもないからな」
快晴の言葉に笑ってしまった。私だって世界が滅びても快晴を好きになんかならないよ。
「俺がお前を心から笑わせてやる。本気で泣くのも受け止める。そしていつか征規や春那にも本音を言えるようにする。お前が生きていて幸せだなって思わせる。だから自分に嘘はつくな。俺の前では本音のお前でいろ」
快晴の言葉にポロポロと涙が出てきた。
そんな私を見ないように、ベンチから外を見ている。
「雫、雨好きか?」
突然わけのわからないことを言う。
「嫌い」
ポツリと言うと、快晴は言った。
「俺は雨って好きなんだよ。嫌なことも全て流してくれそうじゃん。だから、雫も雨を好きになれよ」
そう言った快晴はこれまで見たことがない笑顔だ。こんな優しい顔をする快晴を初めて見た。
「お前があまりにも自分に嘘をついて傷ついてないフリをするから、ラインで酷いこと言ったごめんな」
快晴が私に酷いことを言った理由がわかって、なんだかスッキリした。
ここまで言ってくれる快晴を信じて、快晴の前では弱音も全て言ってもいいかなと思う。
そして本当に心から笑える時が来てほしいと思った。
シトシトと降る雨も好きになりそうだと思う。