「最悪だ……」

 トイレの鏡で前髪を直そうと格闘しているけれど、雨のせいでうねりが直らない。

「もうピンで止めちゃえば?」
 春那がポーチからヘアピンを出してくれた。

「ありがと」
 受け取って前髪を横に流してピンで止める。

 私の隣にいる春那は二年生になっても、変わらず人形のような顔立ちで、小柄でとても可愛らしい。長い髪をキレイに巻いて、ナチュラルな感じでメイクはしていてもクリンとした大きな目をしている。相変わらず男子にかなり人気がある。

 見た目はまさにそうなのだけれど……。

 今、ヘアピンを出したポーチはドクロ柄で
隣で同じく鏡を見て睫毛をビューラーで上げながら「マジで化粧面倒くせーな」と舌打ちをしながら呟いている。

 しかし春那は賢さに磨きがかかり、そんな姿をよっぽど親しい人にしか見せない。もちろん親しい人間以外がいる場所では絶対に見せない。だから『可愛い春那ちゃん』と思っている人がほとんどだろう。

 春那は将来、世間を驚愕させるほどの詐欺師になれると思う。

 まあ春那の本当の姿なんて私には慣れっこであり、猫を被っている方が見ていて違和感があるくらいだ。一年生の頃は、どっちの春那でも好きだと思っていたけれど、親友歴一年も経てば、猫を被っている方が気持ち悪い。

 今日はそんなことはどうでもいいのだ。

 どうにかピンで留めたことにより落ち着いて見えてきた前髪を確認しながらため息が出る。

「雫、仕方がないんだから諦めな。もう、あんたのため息ウザすぎる」
 春那がビューラーを片付けながら言った。

 私たちは、あっという間に二年生になった。
 春那、征規、快晴とまた2年3組、同じクラスになった時は嬉しい反面、もうクラス替えはないから、征規とは十一年同じクラスなんだ……と、少し気味が悪くなった。

 私と征規は前世で何か繋がりでもあったのか?絶対に恋人ではないけれど。

 そして、今日は一学期が始まってから初めての席替えがあった。今までは出席番号で座っていたのだ。
 その席替えが私をため息地獄へ突き落している。

「だって……」

「だってって言ったからって快晴が隣なのには変わらないんだから諦めな」

 私のため息の元凶が快晴と隣の席になったということ。

 少し悪そうな雰囲気がカッコイイなどという女子もいるらしいけれど、私には威圧感が制服を着ている悪魔にしか見えない。

 目が悪いせいで目つきが悪いから、ジロリと見られるだけで嫌な気分にしかならない。関わりたくない人物ナンバーワンだ。原因はやっぱりあのラインであり、あれ以来快晴と個人的なラインはしていない。ブロックをしたりはしていないし、あの言葉は消してもいない。だってあれは客観的な私を見抜いているからなのかもしれないから。

 春那がいて、征規がいてクラス運に恵まれているはずだった私を憂鬱にさせる存在が快晴なのだ。
 相手にしなければいいと思われそうだけれど、そうもいかない。
 相変わらず征規の一番の友達は快晴。征規と遊ぼうとしたり、話をしているとセットのように快晴がいる。

 4人のグループラインも健在だ。
 セットで付いてくる快晴にラインのことは考えないようにしながら頑張って話しかけたりしてはみた。
 でも、頭の中は快晴が放った言葉がグルグルと渦巻いていて、かしこまった話し方しか出来なくなってしまった。一年生の終盤には、話かけるのすら動悸がしてくるくらいまでになった。

 どんなに征規が快晴はいいヤツだと言って、私を安心させようとしても信用できない。征規も悪魔に騙されているのではないか?と思ってしまう。
 春那はグループトークも素の自分でやり取りができるから楽でしょうがないらしい。実際4人遊んでも楽しそうに毒舌を炸裂させている。快晴や征規は春那にとって素が出せる大事な友達なのだ。
 快晴を見ていても、春那には私に言ったような酷い言葉は言わない。春那はブスではないから、言う理由もないのだろう。

 始業のチャイムが鳴る。
 戦いのゴングがカーン‼と頭の中で鳴り響く。有名なボクシングのテーマ曲と共に。でも私はすぐにリングアウトしそうだ。12Rなんて絶対にもたない。

「ほら行くよ、次英語だから遅刻したら怒られるよ」
 春那がトイレのドアを開けながら言う。

 英語の先生は外国人で、本当に英語しか話さないから、怒っていても何を言っているか不明で逆に怖い。

 仕方なく教室へ向かうしかなく、またため息をつくと「マジで殴りたくなってきた」と春那に睨まれた。

 授業中、英語がBGMに聴こえるような中、私は下を向いてシャーペンをジッと見ていた。

見ていても何の変哲もないのだけれど。顔を上にあげると快晴がバッチリと視界に入るから、あまり見えないように、なるべく下を向いているしかない。これから先、ずっとこんな生活ならノートすら取れなくて落第してしまいそうだ。

「おい」
 急に隣から威圧感の塊の声が聞こえて悲鳴をあげたくなる。
 相手はもちろん快晴だ。そんなことはわかっている。

「な、何?」
 なるべく快晴を見ないようにチラっと一瞬だけ横を向いてから顔を前に戻した。

「お前さ、幸せなの?」

「は?」

 ポツリと静かに言われて意味不明だ。
 思わず快晴に再び視線を戻す。

 快晴は頬杖をついて前を見ている。

 今の言葉は気のせいだったのだろうか?
 それとも「あなたの幸せを祈らせてください」的な宗教的発言なのか?

「え?何て言ったの?」
 そう聞いてみると、あの目つきの悪い横目でジロリとこっちを見ながら口を開いた。

「雫って嘘つきなくせに幸せなのか?って聞いたんだよ」

 嘘つき……?
 私がいつ、誰に対して嘘をついたというのだ。

「私が嘘つきって何?私が嫌いなんだろうけど酷いにもほどがあるよ」
 授業中でなければ怒鳴りつけていたかもしれない。

「自覚ないのか。重症だな」
 快晴は呆れた顔をしている。

 私は誰にも嘘なんかついていない。酷すぎる。自覚がないなんて、私を嫌いなのは知っているけれどそれは言い過ぎだと思う。

「さっきから何?嫌いだからって何言ってもいいと思ってるの?」

 苛ついた私の口調にも快晴は全く動じないで、呆れたままの顔をしている。

「俺は別にお前が嫌いなわけじゃない。勘違いするなよ」

 その言葉は意外だけれど、嫌いじゃない人間に取るような行動をしたことないじゃないか。嫌われているって思われる行動ばかりをとってきたのは快晴の方だ。

 怒りで睨む私と、呆れた顔で見てくる快晴。
 そんな私たちの間に英語の先生の声がBGMとして流れている。
 しばらくの硬直状態のあと、快晴が言った。

「放課後、ちょっと付き合え」

「嫌だよ。何で私が快晴に付き合わなきゃいけないのよ」

「いいから。黙って付き合え、お前のためだから。わかったな?」
 それだけ言って快晴は前を向いてしまった。