頭の中がぐちゃぐちゃする。
杏奈は市内の奥にある頭が良くて有名な○○学園の幼稚舎に行っていることになっている。
杏奈の身体のことは外では言ってはいけない。言ったらお母さんに怒られる程度では済まない。だから誰にも話したことはないし、近所の人や学校の友達の親は「少し病弱な妹がいる」程度しか知らないだろう。
なんで?
身体が弱いことは杏奈が悪いわけではない。それなのに院内保育園や院内学級通うことは隠すことなの?恥ずかしいことなの?
何で?
居間で茫然としていると、玄関のドアが開いて、お母さんが戻ってきた。
私の心は怒りに震えている。お母さんの嘘は杏奈を傷つける酷いことだと思う。だから怒りがどんどんこみ上げてきた。
「雫」
声をかけられて振り向いた私の顔は怒りに満ちていたのだろう。
「何よ、その顔。文句でもあるの?」
近所の人と話をしていた時とは全く表情が違う能面のような顔で、機械のように言葉を出す。私に対してはいつもこうだ。
お母さんに逆らうと、またヒステリックになって傷つく言葉をいっぱい言われるけれど、こればっかりは我慢できない。杏奈を侮辱している。親のくせに、自分の子供の身体のことを認めようとしない。酷すぎる。
「なんであんな嘘言うのよ」
私は静かに言った。
「杏奈のためよ。余計な同情や近所に変な目で見られるのはかわいそうでしょ?〇〇学園なんて遠い場所に通っていることにしたら誰にも会うこともないし。問題ないじゃない」
「なにが杏奈のためだよ。それは杏奈が院内保育園に通っていることも、これから院内学級に通うことも知られたくないだけで、かわいそうに思われるのはお母さんだからでしょ‼」
口に出した途端、怒られる‼と目を閉じたけれどお母さんは何も言わなかった。
そっと目を開けると感情が一切ない、まるで赤の他人を見ているような顔で私を見ていた。
「お母さん?」
「雫、あんたが何のために生きているのか教えてあげようか?あんたの生きる意味は杏奈がいるから。姉なんだから当然よね。あんたには期待は一切していない。杏奈のためだけに努力しなさい。あんたは杏奈が生きるために薬の管理をしたり、癇癪を起した杏奈をなぐさめる。杏奈がいるからあんたが必要なだけ。なぜって?姉妹なんだから妹を助けてあげるのは当然でしょ?わかった?」
何それ……?
涙が出てきた。親が子供にこんなこと言うの?
いくら精神的に不安定だからって何を言ってもいいの?許されると思っているの?
杏奈が生まれてから、私は二の次だったけれど勉強や運動は精いっぱい頑張ってきた。お母さんに褒めてもらいたいから。笑顔を向けてほしかったから。
私はここにいるよ?
お母さん、杏奈の次でもいいから私も見て?そう思っていた。
そんな私の悲痛な思いをわかっていないお母さんは変わらず無表情。
「あんたは姉で杏奈のために存在しているのよ?わかったらとっとと、杏奈の相手をしなさい」
ドンと背中を押される。
フラフラしながら部屋に戻る。
いつもなら、酷い事を言う時はヒステリックに怒鳴り、しばらくして自覚すると謝ってくるけれど、そしてそれは精神的に疲れているからだ、仕方ない、我慢しなくては。と心に言い聞かせてきた。
でも、今のお母さんはいつもと違う。静かに私の心をズタズタにしてくる。
私は、何のために存在しているのだろう……?
杏奈のために生きているだけ?
足元から何かが、小さいころのお母さんやお父さんの笑顔、私の笑顔、その全てがガラガラと音を立てて崩れていくのがわかった。
もうダメだ……。苦しい、辛い、もう嫌だ。
そう思った途端に私の心の扉が重い音をたてて閉じた気がする。
私は生きていていいの?
杏奈のためだけじゃなくて、夢や憧れを持って生きていたらダメなの?
お母さんに言われた言葉が私の中の希望や夢や生きている価値さえも奪った。