杏奈はどんどん成長していって、ある日二人で杏奈の絵本を見ていたら、「お姉ちゃん、海って行ったことある?」と杏奈が言った。

 私は杏奈が生まれる前まで毎年遠くではないけれど、家族旅行をしていたから海も山も見たことがある。

「あるよ。すごく大きくて青くてお水はしょっぱいよ」
 私がそういうと、杏奈は羨ましがり、「いいなあ、お姉ちゃんは杏奈が知らない場所にいっぱい行ったことがあるんだね」と言った。

 その夜、杏奈も部屋で寝ていて、私もそろそろ寝ようとしていた時にドアがバンと思いきり開けられた。
 見たことがないくらい怒りに震えたお母さんが立っていた。

「どうしたの?」

 お母さんの顔が怖くて、震える声で聞いたら、身体を思いきり引っ張られて起こされた。力任せだから痛さに驚いていても、今度は身体を滅茶苦茶に揺すられ続けて、わけがわからなく混乱した。

「やめて」と言う私に息を切らせながらお母さんは言った。

「なんて残酷な子なの‼海にも山にも行けない杏奈に海に行ったことがあるなんてよく言えるわね‼それでもあんたは杏奈の姉なの?こんな酷い娘だとは思わなかった‼」

 杏奈が私を羨ましいと言った後、私が続けた言葉はお母さんには届いていなかった。

「お姉ちゃんが大人になったら、杏奈が行きたいところにいっぱい連れていってあげるからね。だからもう少し待っていてね」

 私はまだ子供だから杏奈を遠くには連れていけない。だから大人になったら、たくさん知らない場所に連れて行ってあげたい。そう言った言葉すら残酷なのだろうか?

 お母さんの怒鳴り声が聞こえたのか、お父さんが慌てて部屋に入ってきた。
 震えている私を抱きしめながら、
「雫に当たっても仕方ないだろう。雫は悪くない」
 と言った。

「海を見たことがあるお姉ちゃんが羨ましいって言った杏奈の気持ちはどうなるのよ‼雫が余計なことを言わなければ杏奈は傷つかずに済んだの‼姉のくせに妹の悲しい気持ちがわからないなんて酷すぎるわ‼」
 お母さんはそう言い捨てて部屋を出て行った。

 泣くことすら忘れてお母さんを見ていた私にお父さんは言った。
「雫のせいじゃないよ。ただ、お母さんは杏奈の病気で心が疲れているんだ。でも、杏奈が行けない場所に行ったことがあるなんて言ったら、杏奈が可哀想だろ?気を付けような」

 お母さんは心が疲れているから仕方がないんだ……。私が余計なことを言わなければいいんだ。大人になったら、なんて遠くて叶えられるかわからない約束を杏奈に言ってはダメなんだ。
 そう思って私はお父さんに頷いた。