「なにも覚えていないらしいな。安心しろ、ひと思いに殺してやる」


いい男の笑みに吐き気を催したのは初めてだ。

殺してやると高らかに宣言されて、安心するバカはいない。

頭が真っ白になり恐怖のあまり呼吸が浅くなってきたとき、突然突風が吹いてきて尻もちをついた。

指先ですら動かせなかった体が吹き飛んだのだ。
いや、あの赤い目の支配から解き放たれたのかもしれない。


突風はすぐに止んだが、目の前にわずかに青みがかった黒色――黒橡色(くろつるばみいろ)の着物をまとった、これまた長身の男性が私をかばうようにして立っている。


「チッ」


先ほどの目の赤い男は、彼が現れるとあからさまに顔をしかめ、舌打ちした。


「黒爛(こくらん)。彩葉に手を出すな」


どうして彼も私の名前を知っているの?


「誰がお前の言うことなんて聞くか。ここまとめて殺してやろうか?」


黒爛と呼ばれた男の声は、少し小さくなったような気もする。