常に表情を変えることなくファイルを見ていた彼だったけれど、今は違う。本人は気付いているか分からないが、眉間に少しだけしわが寄っていた。
……その理由に、私はもうすでに気付いていた。
だって、中学二年生の八月。当時の私をどん底に突き落とす事件が起きたことを、今でもはっきりと覚えているから。
「 田島結月、ですよね……?」
私の微かに震えた声に、彼はゆっくりと頷いた。
私にとって、結月の名前を聞くのはとてつもなく苦しいこと。……つらい記憶は選択しない、そういった過去には向かわないから安心してくださいって、言っていたのに。どうして……?
そう思ったものの、すぐにその場面が選択された訳を理解した。
「あなたは、中学二年生の八月。結月くんが旅行に行く直前に、駅で待ち合わせをしましたよね?次は、その場面に向かっていただきます」
そう、私が向かうのは、あくまで結月がまだ旅行に行く前のシーンだからだ。
私にとってつらい出来事が起こったのは、結月が旅行に行ってからのこと。結月と待ち合わせていた当時の私は、その後、あんなに悲惨な事件が彼に起こることなんて、なにも知らなかったんだ。
「……次の駅に、向かってもよろしいですか?」
ハッと俯けていた顔を持ち上げれば、その先には何とも言えない表情で微笑む車掌さんがいた。
きっと彼は、知っているのだろう。結月に何が起こったのかも、今どうなっているのかも、……散々後悔して苦しんできた、私の心境も。
「……はい、向かってください」
呟いた声は小さかったけれど、車掌さんにはきちんと届いていたみたい。彼は唇を引き締めて頷くと、私の前から姿を消した。
それからしばらくして、車内に車掌さんのアナウンスが放送される。
「えー、大変お待たせ致しました。この列車は、皆様にお伝えした二つ目の記憶ゆきとなります。運行中は安全のため、席を動かないようにお願いします。……それでは、発車します」
それを合図に、ガタン、と大きな音をたてて列車は動き出した。