あの日、君と誓った約束は

『"結子(ゆいこ)の願いが叶いますように"』

一緒につくった絵本を前に、(しょう)ちゃんはそう祈ってくれた。
その横顔はまるで王子様みたいで、
私は彼が唯一の味方だと信じて疑わなかった。

けれど、あの日を境にそれは一変した。
お気に入りだった秘密基地も、
大好きだったケーキも、
一生懸命つくった絵本も、
信じていた将ちゃんも、
全部あの日に置いてきた。

無邪気だった私もそう。
最後のページを破られたあの日の中に、
いまだ閉じ込められたままなんだ。
『今日のお話、いかがだったでしょうか。いやはや、最近はクオリティーの高い投稿作品が多くて、選出するのもひと苦労です。まぁ、それが楽しみでもあるんですけどね。それでは皆様、素敵な夜をお過ごしください。また来週』

優しく響く男性のパーソナリティの声のあとでお決まりのピアノ曲が流れ、十五分間の楽しみが終わる。
水曜日の夜九時から放送されるこのラジオ番組は、一般から募った短編小説を読み上げるだけのシンプルな構成だ。

「……ふぅ」

今日読み上げられたのは、最後にほろりと感動させるヒューマンドラマだった。つい涙腺を刺激された私は、鼻をかんでからスマホを操作してラジオを終了させる。
前回まではお母さんから譲り受けた小さなラジオ機で聴いていたけれど、高校の入学祝いということでスマホを買ってもらえたのだ。

私はさっそく録音機能がついたラジオアプリをインストールした。
前まで使っていたものは再生だけしかできなかったから、実際に録音されていることを確認し、小さく感動する。

「結子、明日の入学式の準備、大丈夫? 最終チェックしたほうがいいわよ?」

イヤホンを外すと同時に、お母さんの声がドアの向こうから聞こえてきた。
私は軽く返事をして、木製のハンガーラックにかかった制服を見る。
そこにはぱりっとした白いシャツと紺色のリボン、そして乱れひとつないブレザーのジャケットとプリーツスカートがかけられていた。

真新しいそれらを着て、私は明日から高校生になる。
けれど、それほど心は躍らなかった。
きっと、中学と同じような退屈な日々に変わりはないだろうから。

 





「あの……瀬戸(せと)さんだよね?」

入学式が終わり、体育館から教室へと戻る途中、やわらかい声に呼び止められる。振り返ると、入学式の最中、私の隣に座っていた女子がいた。背が低くて、髪はふんわりとした猫っ毛。目の大きいかわいい子だった。

「私、嶋野萌香(しまのもえか)。出席番号が瀬戸さんの前なんだ、よろしくね」

こちらに名札が見えるように傾け、嶋野さんはにこりと笑う。人好きのする笑顔なんだろうけど、戸惑ってしまう。

「よろしく」

控えめに笑って、私はまた歩きだす。そして、一生懸命話題を出してくれる彼女に、ただただ相槌を打った。整った顔で愛嬌もあり、人あたりもよさそうな嶋野さん。私は少し、こういう子が苦手だ。

「あーもう、めっちゃ話長かったわ。こういうときは男子たちを見て、HP回復しなきゃ。ほら、あのツーブロックのさ……て、あれ? ごめん、話し中だった?」

ぱたぱたとうしろから足音がしたと思ったら、声をかけてきたのは、鎌田沙和(かまたさわ)だった。彼女は中学からの友人だ。沙和は頭をかきながら眼鏡の位置を整え、嶋野さんを見て目を輝かせた。

「誰? めっちゃかわいいね」

沙和と嶋野さんはすぐに楽しそうに話しだす。私はふたりの様子を一歩下がったところからなんともなしに眺めていた。
沙和が来てくれると、楽だ。私の代わりにどうでもいい話をしてくれるから。

「瀬戸さんって、きれいな黒髪だね。サラサラだし、長いし、憧れちゃう」
「でっしょー、結子のこの髪はキャラを引き立たせてるからね!」
「ふふ、それってどういうこと? 鎌田さんっておもしろいね」

ほら、こんなふうに。
教室に着くと、窓から入ってくる春の生ぬるい空気と、新しい制服の匂い、そして高揚感と緊張感が充満していた。知らない人を物色するような視線が行き交い、室内はざわざわとしていて落ち着かない。

移動を終えて、続々と席に着く生徒たち。厳しそうな男の先生が入ってきたことで、浮わついた空気が一気に張り詰める。騒がしかった教室はうっとうしかったから、それで少しほっとした。けれど、先生からの話が一通り終わると自己紹介をすることになり、面倒くさいな、とため息をつく。

「嶋野萌香です。ちょっと緊張していますが、よろしくお願いします!」

嶋野さんがはにかみながら椅子に座ると、どこかから「かわいー」という声が聞こえた。

「瀬戸結子です。よろしくお願いします」

嶋野さんの次に、淡々とそれだけ言って頭を下げる。嶋野さんの自己紹介で明るくなった教室が、また張り詰めた気がした。

そのとき、前の方の席に座っている男子と思いきり目が合った。すぐ逸らされるかと思ったのに、彼の視線は私へ向けられたままだ。そのあからさまに注目したような感じが嫌で、私はすかさず着席した。

次の人が自己紹介している間も、彼はじっとこちらを見ていた。うしろの席の人ではなく、私を見ている。
座っていても、周りより頭ひとつ抜けていて身長が高いことがわかる。目はきりっと細く、鼻筋が通っていて、端正な顔つきをしていた。

人の自己紹介を全然聞いていなかったから、名前はわからない。けれど彼の顔を見ていると、身体の奥の方から鳥肌がたつような、悪寒が走るような、とにかく嫌な感じがしてくる。まるで睨むような目つきでこちらを見てくるから、その視線から逃げるように私はずっとうつむいていた。
ホームルームが終わり、それぞれ帰り支度をする中、さきほどの彼がこちらの方へ近寄ってきた。関わりたくないと思った私は、配られたプリントを手早く片づけ、沙和の席へ向かおうとする。

「萌香」

私がバッグのチャックを閉め終えたと同時に、彼が前の席の嶋野さんにそう声をかけた。私は途端に拍子抜けして、肩の力を抜く。
なんだ、嶋野さんに用があったのか。というか、もしかしたらさっきのだって私じゃなくて嶋野さんを見ていたのかもしれない。少し恥ずかしくなったけれど、なんともないような顔をつくって帰り支度を整える。

「帰り、どうする? 俺、隼人(はやと)と寄るとこあるんだけど」
「あ、大丈夫だよ。ひとりで帰れる」
「じゃ、明日の朝は一緒に」
「ありがとう。うちの親も、高校同じだし頼りにしてるって言ってた」
「あぁ、べつに全然」

どうやら家族ぐるみで仲がいいらしい。もしかしたら、付き合っているのかもしれない。まぁ、私には関係ないけれど。
そう思いながら沙和の席まで行く。私と沙和は同じバスだから、一緒に下校する約束をしていたのだ。

「お、結子、早いね。帰ろうか」
「うん」
「なんか、今日はいちだんと色が白いよ? 貧血?」
「知らない人ばっかりだから疲れたのかもしれない」

眉間をつまんでそう言うと、
「まーね、たしかに疲れるよね。でも結子、ご覧なさいよ、ここにもあそこにも新たな出会いが落ちているのを」
と、沙和が演技まじりに手を広げる。
「はいはい。少女漫画オタクにとってはそうよね」
「あ、馬鹿にしたな? ほら、モエモエだってさっそくイケてる男子と……あれ?」
「モエモエって」

さすがにその呼び方はどうなの、と眉を下げて沙和を見ると、彼女は立てた人差し指と自分の首を同時に傾けた。

「こっち来た」

沙和がそう言ったかと思うと、すぐさま背後から、
「ねぇ」
と低い声がする。

振り返ると、さっき嶋野さんと話していた彼がすぐそばに立っていた。あらためて近くで見ると、やはり身長が高くて威圧感がある。

「結子だよな? 俺のこと覚えてない?」

じっと見下ろすその目は、さっきの自己紹介のときと一緒だ。冷ややかで、怒っているような目。

「覚えがありませんけど」
「嘘だ。俺、川北将真(かわきたしょうま)だけど」

その名前を聞いたとき、身体が崩れそうになった。思い出したくない、ずっと封じ込めていた昔の記憶が、全身を駆け巡る。だけど、そんな自分の状態を悟られたくなかったから、なんともないふりをしてそっけなく返す。

「覚えがないって言ってるじゃないですか。私の名前、珍しくないし人違いだと思います」
「いや、小学生のとき遊んでたし、俺記憶力いいから間違いないよ。思い出せって」
たたみかけるような彼の言い方に、私は目も合わせずにため息をつく。

「しつこい……」
ぼそりとつぶやくと、
「感じ悪……」

同時に彼が眉をひそめながらそう言った。感じが悪いなんて、よく私に言えるものだ。

「いいね、いいね。新手のナンパであっても、実は本当にどっかで会ってたとしても、おいしいわー」

そこで沙和が横から楽しそうに茶々を入れてくるから、私はますますうんざりする。

「誰?」
「鎌田沙和。よろしくね。結子と同中」
「へぇ」

彼と沙和が話しているうちに、ずれ落ちていたバッグを肩にかけ直す。

「バスきちゃうから、行こう、沙和」

私が教室の出口に向かうと、沙和が残念そうな声を出した。

「えー、時間ずらせばいいじゃん。川北くん、話があるんじゃないの?」
「いいの、私は話すことないから」

動こうとしない沙和を引っ張って数歩進むと、また背中に低い声が投げられる。

「じゃあ、思い出したってこと?」
「思い出せないから話しても意味ないってことです」

私は振り返りもせずにそれだけ返して、沙和と一緒に教室をあとにした。


 

あの日、君と誓った約束は

を読み込んでいます