月星丸を連れて、店じまいの始まった万屋の店先に立つ。
「萬平どのはおられるか。約束の品を受け取りにきた」
月星丸は疑う様子もなく、店に並べられた数々の品をながめている。
「ふむ、ここはなかなかの大店だな」
「おやおや、お褒めにあずかり光栄にございます」
どんな相手に対しても、絶対に腰の低さを崩さない萬平が奥から姿を現した。
月星丸の顔を見て、太く抜け目のない眉がぴくりと動く。
「ほほう。これはまた千之介さま、どちらでこのお方とお知り合いに?」
「話せば長い。また後だ」
萬平は静かな笑みをその顔に浮かべた。
「ご注文のあったお品は、今届いたばかりにございます。どうぞお二人とも、奥へおこし下さいませ」
萬平に案内されて、いつもとは違う客間に通される。
そこには月星丸を迎えにきた男二人が、隅に控えていた。
「月星丸さま! お探しいたしておりました」
男たちは深々と頭を下げた。
月星丸は一瞬丸く大きく見開いた目を、すぐに元の大きさに戻す。
「……そうか……、ご苦労であった」
裾の短いボロのくせに、長年のくせなのか長い振り袖を払うような仕草をしてから、座布団の上に腰を下ろす。
「苦しゅうない。帰宅する」
迎えに来た男は、もう一度丁寧に頭を下げた。
頑として帰ることを拒んでいた家の迎えを、毅然とした態度で申し受ける。
それを見た男たちは、安堵のため息をついた。
「万屋、そなたの評判には間違いがなかったようだな」
「ありがたきお言葉にございます」
萬平がひれ伏すから、俺も頭を下げておく。
「我々は、方々に手を尽くして、それはもう、月星丸さまを、お探しいたしておりました」
男たちは月星丸を振り返った。
月星丸はどこか遠いところを見ているようだ。迎えの二人は立ち上がる。
「では、月星丸さま、こちらへ」
能面のように、月星丸の表情が固まっている。
あれほどにぎやかでやかましかった月星丸が、まるでからくり人形のようだ。
動かす手足の幅さえも訓練され厳しくしつけられたたように、ぴったりと正確に動かした。
万屋の下女に案内されて、迎えの者と共に部屋を出て行く。
俺がじっと見つめているにも関わらず、月星丸は一度も目を合わそうとしない。
三人を見送ってから、萬平はやっと息を吐き出した。
「まったく、千之介さまにはいつも驚かされます。おかげで荷の重い仕事の依頼が、すぐに片付きました」
「それほど荷が重かったのか?」
「そうですよ。過分に圧力をかけられていましてね」
「どこの名家だ」
「聞いておりませんよ。それは尋ねる方が野暮というものです」
萬平は茶をすすった。
「よほど大切なお方だったのでしょうね」
そのわりには、あっさりしすぎているような気がする。
感謝の言葉も、感動の再会も何にもなしか。
騙すようにつれてきて、散々駄々をこねて暴れるかと思っていたのに。
俺は、刀の柄に手を置いて立ち上がった。
「おやおや、どこへ行かれるのですか?」
「それを確かめぬことには、納得がいかぬ」
俺はすっかり日の落ちた町の中で、月星丸を乗せた籠の後をつけ始めた。
あのケチな万屋に依頼してくるような連中だ。
相当な金を積んでいることは間違いない。
迎えもきちんとした使者をよこしている。
あいつがあれほど帰るのを拒んだ家とは、どんな家だ。
静かな夜の闇の中を、月星丸を乗せた籠がゆっくりと動いていく。
護衛は三人。
籠は案の定、大名たちの上屋敷が並ぶ町の方向へと向かっていた。
途中、籠の担ぎ手が変わる。
万屋で挨拶を交わした男たちは、そこで別の護衛二人と入れ替わった。
籠の行き先が変わる。
中に乗る月星丸に、行く先が分からなくなるよう、ぐるぐると無駄に路地を迂回しながら進む。
これでは、帰宅に向かっているのではなく、どこか別の場所へ誘拐しているようだ。
籠はついに、人里から離れた大きな川のほとりにやって来た。
担ぎ手と護衛の踏みしめる砂利の音が闇夜に響く。
籠はそこへ下ろされた。
供の者が担ぎ手に金を渡すと、彼らは逃げるように走り去る。
籠から出された月星丸は、むき出しの石の上に両膝をついて座らされた。
静かな夜だ。
抜かれた二本の刀が、鈍い光を放つ。
そのうちの一本が、月星丸の頭上に掲げられる。
振り下ろされるその瞬間、凶刃はカチンと小石に火花を散らした。
「何者!」
俺はすらりと刀を抜いた。
「どこの坊ちゃんかと思っていたら、随分な扱いだな。大金を積んで探しあてたわりには、もったいねぇことするじゃねぇか」
「今すぐここを立ち去れ!」
男が斬りかかってくる。
コイツらは途中で入れ替わった雇われのやくざ者どもだ。
一人目をバッサリと斬り捨てると、俺はすぐにもう一人を振り返った。
「今すぐここを立ち去るのならば、命だけは助けてやろう。ただし、この坊ちゃんは俺がもらい受ける」
男は俺との間合いを見計らっている。
そう簡単に引く気もなさそうだ。
「なに、望み通りこの坊ちゃんは、ここで斬り殺したことにすればいい。あんたらに迷惑はかけねぇ。俺はコイツを連れてすぐに江戸を出る。二度とあんたらの依頼主とコイツが顔を合わすことはねぇよ」
刃先を突き合わせて、にじり寄る。
とたん、月星丸が砂利を蹴って走り出した。
一目散に町の方へ向かって逃げ出す。
「おいコラ待て!」
俺とにらみ合っていた男は、すぐに月星丸を追いかけた。
俺が斬りつけた男も立ち上がり、ふらふらとその後を追う。
「くっそ、あの野郎!」
助けてやろうと思って出てきたのを、あいつにはそれが伝わらなかったのか?
俺が本気であいつを売ったとでも思ったか。
刀を鞘に収めると、俺も逃げた月星丸の後を追った。
「萬平どのはおられるか。約束の品を受け取りにきた」
月星丸は疑う様子もなく、店に並べられた数々の品をながめている。
「ふむ、ここはなかなかの大店だな」
「おやおや、お褒めにあずかり光栄にございます」
どんな相手に対しても、絶対に腰の低さを崩さない萬平が奥から姿を現した。
月星丸の顔を見て、太く抜け目のない眉がぴくりと動く。
「ほほう。これはまた千之介さま、どちらでこのお方とお知り合いに?」
「話せば長い。また後だ」
萬平は静かな笑みをその顔に浮かべた。
「ご注文のあったお品は、今届いたばかりにございます。どうぞお二人とも、奥へおこし下さいませ」
萬平に案内されて、いつもとは違う客間に通される。
そこには月星丸を迎えにきた男二人が、隅に控えていた。
「月星丸さま! お探しいたしておりました」
男たちは深々と頭を下げた。
月星丸は一瞬丸く大きく見開いた目を、すぐに元の大きさに戻す。
「……そうか……、ご苦労であった」
裾の短いボロのくせに、長年のくせなのか長い振り袖を払うような仕草をしてから、座布団の上に腰を下ろす。
「苦しゅうない。帰宅する」
迎えに来た男は、もう一度丁寧に頭を下げた。
頑として帰ることを拒んでいた家の迎えを、毅然とした態度で申し受ける。
それを見た男たちは、安堵のため息をついた。
「万屋、そなたの評判には間違いがなかったようだな」
「ありがたきお言葉にございます」
萬平がひれ伏すから、俺も頭を下げておく。
「我々は、方々に手を尽くして、それはもう、月星丸さまを、お探しいたしておりました」
男たちは月星丸を振り返った。
月星丸はどこか遠いところを見ているようだ。迎えの二人は立ち上がる。
「では、月星丸さま、こちらへ」
能面のように、月星丸の表情が固まっている。
あれほどにぎやかでやかましかった月星丸が、まるでからくり人形のようだ。
動かす手足の幅さえも訓練され厳しくしつけられたたように、ぴったりと正確に動かした。
万屋の下女に案内されて、迎えの者と共に部屋を出て行く。
俺がじっと見つめているにも関わらず、月星丸は一度も目を合わそうとしない。
三人を見送ってから、萬平はやっと息を吐き出した。
「まったく、千之介さまにはいつも驚かされます。おかげで荷の重い仕事の依頼が、すぐに片付きました」
「それほど荷が重かったのか?」
「そうですよ。過分に圧力をかけられていましてね」
「どこの名家だ」
「聞いておりませんよ。それは尋ねる方が野暮というものです」
萬平は茶をすすった。
「よほど大切なお方だったのでしょうね」
そのわりには、あっさりしすぎているような気がする。
感謝の言葉も、感動の再会も何にもなしか。
騙すようにつれてきて、散々駄々をこねて暴れるかと思っていたのに。
俺は、刀の柄に手を置いて立ち上がった。
「おやおや、どこへ行かれるのですか?」
「それを確かめぬことには、納得がいかぬ」
俺はすっかり日の落ちた町の中で、月星丸を乗せた籠の後をつけ始めた。
あのケチな万屋に依頼してくるような連中だ。
相当な金を積んでいることは間違いない。
迎えもきちんとした使者をよこしている。
あいつがあれほど帰るのを拒んだ家とは、どんな家だ。
静かな夜の闇の中を、月星丸を乗せた籠がゆっくりと動いていく。
護衛は三人。
籠は案の定、大名たちの上屋敷が並ぶ町の方向へと向かっていた。
途中、籠の担ぎ手が変わる。
万屋で挨拶を交わした男たちは、そこで別の護衛二人と入れ替わった。
籠の行き先が変わる。
中に乗る月星丸に、行く先が分からなくなるよう、ぐるぐると無駄に路地を迂回しながら進む。
これでは、帰宅に向かっているのではなく、どこか別の場所へ誘拐しているようだ。
籠はついに、人里から離れた大きな川のほとりにやって来た。
担ぎ手と護衛の踏みしめる砂利の音が闇夜に響く。
籠はそこへ下ろされた。
供の者が担ぎ手に金を渡すと、彼らは逃げるように走り去る。
籠から出された月星丸は、むき出しの石の上に両膝をついて座らされた。
静かな夜だ。
抜かれた二本の刀が、鈍い光を放つ。
そのうちの一本が、月星丸の頭上に掲げられる。
振り下ろされるその瞬間、凶刃はカチンと小石に火花を散らした。
「何者!」
俺はすらりと刀を抜いた。
「どこの坊ちゃんかと思っていたら、随分な扱いだな。大金を積んで探しあてたわりには、もったいねぇことするじゃねぇか」
「今すぐここを立ち去れ!」
男が斬りかかってくる。
コイツらは途中で入れ替わった雇われのやくざ者どもだ。
一人目をバッサリと斬り捨てると、俺はすぐにもう一人を振り返った。
「今すぐここを立ち去るのならば、命だけは助けてやろう。ただし、この坊ちゃんは俺がもらい受ける」
男は俺との間合いを見計らっている。
そう簡単に引く気もなさそうだ。
「なに、望み通りこの坊ちゃんは、ここで斬り殺したことにすればいい。あんたらに迷惑はかけねぇ。俺はコイツを連れてすぐに江戸を出る。二度とあんたらの依頼主とコイツが顔を合わすことはねぇよ」
刃先を突き合わせて、にじり寄る。
とたん、月星丸が砂利を蹴って走り出した。
一目散に町の方へ向かって逃げ出す。
「おいコラ待て!」
俺とにらみ合っていた男は、すぐに月星丸を追いかけた。
俺が斬りつけた男も立ち上がり、ふらふらとその後を追う。
「くっそ、あの野郎!」
助けてやろうと思って出てきたのを、あいつにはそれが伝わらなかったのか?
俺が本気であいつを売ったとでも思ったか。
刀を鞘に収めると、俺も逃げた月星丸の後を追った。