「そんな格好のままで遊びに来るなんて、えらい度胸だな」

この男は、裃姿の正装だ。

「女郎になんぞ興味はねぇ」

そう言うと、葉山はゆるりと柱に背を預けた。

「一仕事終わったんでね、帰る前に一杯くらいひっかけて帰ろうと思っただけだ。用がないなら、あんたもどうだ?」

「あの女をどうした」

葉山は笑った。

「裏家業の仕事人が、女に入れあげてちゃぁざまぁねぇな」

「殺ったのか」

「知らねーよ」

だるそうにうつむいて、にやりと笑った。

「仕事が終われば後のことは知らんぷりだ。そうだろ?」

「あんた、あの女の家の者じゃないのか」

この男は、何もかもに全く興味がないような顔をしている。

「おまえ、本当に何も知らないんだな。ま、だからいいのかも知れねぇな。気楽なご身分ってやつだ、うらやましいよ」

葉山はくるりと背を向けた。

「じゃあな、後のことは知らん。俺の仕事は終わった。それだけだ」

花街の巨大な門をくぐり、喧噪の中に消えていく。

「くそっ」

月星丸は、どうなった? 

葉山の下っ端らしきお侍も、そこに何人か来ていた。

そいつらを引っ張りだして吐かせるには、ここでは人の目が多すぎる。

「あ、お侍さま、先ほどは失礼いたしました!」

にっこにこの笑顔で、つい先ほど囲まれ、斬り合いを繰り広げたばかりの一人に揉み手で近寄る。

「いやーご苦労さまでした。今から一杯っすか? いいっすねぇ」

俺は懐から銭を取り出すと、両方の手の平にのせて神妙に差し出した。

「ま、これでどうか一杯やっておくんなせぇ」

三人の侍は、少しためらった様子を見せたが、それをしっかりと受け取った。

「さっきの坊ちゃんは、どう始末なさったんですか?」

「おい、『坊ちゃん』はどうしたかだってよ」

侍たちは笑った。俺も一緒に笑う。

「これそこの浪人、物騒なことを申す出ない。あの方は我々がきちんとしかるべき所におくり届ける手配になっておる。案ずるな」

「あぁ、左様でございましたか。それは大変申し訳ないのでございますが、こちらにもこちらの事情ってもんがございまして」

俺はクイと、顎の先で町の暗がりを指した。

「ちょっとお伺いしたいことがあるんですがね、いかがなもんでございましょう」

「お前にもお前なりの事情があるってことか」

ゴクリと唾を飲む音が聞こえる。

男たちは俺の顔色を窺いながらも、急に声をひそめ、仲間内だけで話しているフリを始めた。

「そういえば、あの坊ちゃんの見張りには誰を立てたっけ」

「葉山さまが指名した男だよ」

「三つ先の通りの馬屋の裏小屋だったよな」

「後で様子を見に行ってやるか」

「そうだな。あいつだけでは頼りない」

「どうする?」

「まぁ腹ごしらえが先だ」

「なるほど、それからでもよかろう」

男の一人がちらりと見上げる。

「じゃあ、そういうことで我々に話せることは何もない。早急に去られよ」

「あぁ、お邪魔して申し訳ございませんでしたね」

素直過ぎる言動に苦笑いしつつも、俺は教えられた馬小屋へと急ぐ。

家人が主人の娘を売ってどうする。

そうじゃなきゃ暗がりに連れ込んで一発ぐらい殴ってやってもよかったが、今はそんなことをしている場合ではない。

花街から離れたとたんに、静けさと宵闇が戻ってくる。

小さな用水路沿いの風車小屋が、その馬屋の裏小屋だった。

見張りらしき男が、道の外で眠りこけている。

俺は小屋の中をのぞき込んだ。

敷き藁やら大工道具みたいなものを保管してある倉庫だった。

そこに人の姿はない。

裏の戸がわずかに開いている。

「おい、起きろ!」

俺は門番の男を揺り起こした。

「中の坊ちゃんはどうした?」

男は本当に眠っていたのか、目をこすって起き上がる。

「んぁ? なんだお前」

「誰か来なかったのか? 捕らえた男はどうした?」

見張りのはずの男は、どうも頭がすっきりしていない。

「どうもこうもねぇよ、中に入ってるだろ」

まだ寝ぼけているのか、ぐずぐずとして動こうとしないばかりか、もう一度眠りにつこうとしている始末だ。

「このどこに捕らえてあると言うのだ、言ってみろ!」

俺は扉を開けた。

もぬけの空だ。その様子を見て、男はようやく事態を飲み込んだらしい。

「あれ? どこへ逃げやがった!」

俺は部屋の中央の柱に近寄り、月星丸の痕跡を調べる。

「この柱に結びつけてあったのか?」

「は? 何いってんだ、そんなこと葉山さまがするわけねぇ」

「騒がれないように、さるぐつわとかは?」

「お前は誰と勘違いしてるんだ? そんな乱暴するわけがないだろう」

その言葉に、俺の脳みそは混乱を始める。

「月星丸を捜してたんじゃないのか?」

「しーっ、お前さん声がでけぇよ」

男はびくびくと回りを見渡した。

「あー逃げられちまったのかなぁ、どうしよう。また叱られる」

「裏口のかんぬきは?」

「は? そんなもんがこの小屋にあるわけねぇ」

俺は痛む頭を抱えてため息をつく。

これじゃあまるで、逃がしてやったようなもんだ。

「あのお嬢ちゃんは、どこへ行った」

「あんたも雇われ人か?」

どうしてあの葉山という男は、こんな無能な男を意味のない見張りに立てたのだろう。

「俺に葉山さまの考えは分かんねぇよ。あのお人は性格がはっきりしていて、計算高いお方だからな。自分の分に合わないことは絶対になさらねぇ」

男は両腕を組んで一人で感心している。

「ま、あんたにもまだ汚い仕事が残ってんだろ。しょうがねぇよな、上手いことやんな」

俺はその男に背中を叩かれ、なぜか励まされた。

「下っ端仕事は、辛ぇよな」

俺が小屋を出ようとすると、男は手を振って見送ってくれる。

この男は、月星丸に逃げられたことを何とも思っていないのだろうか?

とりあえず、月星丸が捕らえられていたはずの小屋の裏口に立って辺りを見渡す。

ちっ、こんなことなら、さっきの葉山とやらと一緒に飲んでた方が、マシだったかもしれねぇな。

月星丸が一度捕らえられて、また逃げ出したとしたら、どこへ逃げる? 

普通は反対方向だよなぁ。

俺は後ろを振り返った。

ここからでも、花街の空だけは明るく瞬いているのが見える。

俺はその光に背を向けて歩き出した。

「おやこれは、こんなところでお会いするとは」

俺に声をかけてきたのは、提灯を手にした萬平だった。

酒のにおいがする。

「寄り合いでもあったのか」

「まぁそういうところでございます」

「あの子どもをみかけなかったか?」

「あの子どもとは?」

ほろ酔いの萬平がとぼける。

彼はくすりと笑った。

「さて、もうあなたには関係のないことでございましょう。私は知りませんよ。あなたも早く帰ってお休みなさい」

萬平はふらふらと歩き出した。

「依頼の仕事に深入りするなんて、この家業には御法度ですよ」

そんなことは言われなくても分かってるさ。

俺は舌を打ち鳴らす。

だけどどうしても気になっちまうもんは、仕方ねぇだろ。

月星丸の明るい笑顔と、迎えが来た時の表情をなくした固い面を思い出す。

例えどんな人間だったとしても、にこにこ笑って暮らしてる方がいいに決まってるよなぁ。

大金を積んで捜し出し、殺すのかと思えば、簡単に逃がす。

何がしたいのか分からない。

迎えに来た葉山は月星丸の家の者ではないということか? 

もしあの男がそうでないとすれば、本当の依頼主は誰だ? 

夜道をふらふらと彷徨う。

花街から離れるにつれ、ますます夜は静かに深くなっていく。

この辺りまでが限界か。

俺は町の外れに広がる原野をながめた。

もしかしたら、長屋に戻っているかもしれない。

俺にはもう、そう願うよりほかになかった。

くるりと背を向けて、また町の中心に向かって歩き出す。

ふいに闇夜を駆け抜ける足音が聞こえた。

俺は表通りに飛び出す。

ばったりと鉢合ったのは、河原で月星丸を斬り殺そうとしていた輩の一人だった。

「お前、あの坊ちゃんをどうした!」

俺が叫ぶと、男は立ち止まった。

「は? 坊ちゃん? おめぇさん、アレを坊ちゃんだと思ってんのか?」

俺はスラリと刀を抜いた。

「男に化けた女だ。そうと知っての所行か」

とたんに男は焦ったように、両手を胸の前で激しく振った。

「おいおい、勘弁してくれよ。あんたはどちら側に雇われたんだい? どっちに転んだって、そんなムキになるような話しでもないだろ」

この男は、どうやらある程度の事情には詳しいらしい。

俺は刀を鞘に収める。

「殺ったのか」

「まだだよ。あんたに邪魔されたんじゃねぇか」

男は呆れたようにため息をついた。

「まぁ、商売的にはこうやって逃げてくれた方が、儲かるのかもしれないけどな」

俺が横目でにらむと、男は肩をすくめた。

「もう適当なこと言って、誤魔化しとくのが一番かもな。俺もそろそろ引き上げようかと思ってた頃だ」

男は歩き出す。

俺も後に続いた。

「誰に雇われた」

「お前さん、正気か?」

男は腕を組み、俺を下から上へと見渡した。

「ははん、あんた、何にも知らされないでこの仕事を受けてんな」

「俺は誰からも仕事として受けてない」

とたんに男は、プッと吹き出して笑った。

「じゃあなんだ、人助けのつもりか? それともあのお嬢ちゃんに入れあげたか?」

男は笑い転げた。

「やめとけ、あんなお嬢さんはてめぇとは身分も家柄も違いすぎるよ。変な夢を見る前にさっさとあきらめな」

俺が立ち止まると、男は慌てて飛び退く。

「おおっと。こんなくだらない仕事で刀傷でももらってちゃあ、世話ないや。じゃあな、お前さんもあんまり深入りしてねぇで、さっさとキリをつけておいた方が、身の為だぜ」

足早に男は立ち去る。

そんなこと、お前らなんかに言われなくても重々承知の上ってもんだ。

俺はため息をつく。

関わるな、か、確かにそうだ。

そのままふらふらと町を彷徨い続けていたことに、俺は日が昇るのを見て気がついた。

疲れた足を引きずって、俺は万屋へと向かった。