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 龍ノ里島は、新月三日前の月みたいな、左側が肉付いたクレセント型をしている。海岸線は、ギザギザと入り組んだ断崖絶壁だらけ。船を寄せられるのはクレセントの内側、波止場がある龍ノ原《たつのはら》湾の一帯だけだ。
 龍ノ原は、昔は「龍ノ腹」と書いていたらしい。龍ノ里島の地名は全部、龍の体になぞらえて付けられている。人が住んでいるのは、今は龍ノ原のみだそうだ。

 スバルさんが整備や計測をしている発電用の風車は、島のあちこちに建っている。龍頭《たつがしら》の二基と龍肩峠《たつがたとうげ》の二基は、人が住む龍ノ原の電源だ。龍ノ背山《たつのせやま》のてっぺんの三基は、龍ノ原とは反対側の海岸線にある灯台の電源。
 龍ノ尾崎《たつのおさき》の断崖絶壁の下には、逆巻く潮の流れを利用した海流発電の設備があって、ここに建てられた灯台に電気を供出している。

 というふうに、サイエンス方面の話ばかり、おれは事前に調べていた。ハルタはそうじゃなくて、龍ノ里島の海を撮った写真をネットで拾っては喜んで、荷造りをするときも真っ先に水着と浮袋をカバンに入れていた。

「兄貴のほうが変なんだよ! 夏休みだぜ? 離れ小島だぜ? 小難しいことばっか調べて眉間にしわ寄せんじゃなくてさ、海を楽しまなくてどうすんだよ! まさか宿題持ってくとか言うのか?」
「おまえは持ってかないのかよ? また成績落ちるぞ」
「体育さえパーフェクトなら、勉強の成績なんかどうでもいいっつーの。おれは中学卒業したら、本格的に、レーサーになるための修行に入るんだしな」

「進学は?」
「するもんかよ。バイトしながら、サーキットに入りびたってやるんだ」
「レーサーになるためには、中学レベルの理科は完璧にしとけよ。もちろん、そのほかにも、クルマや空力の基礎くらい勉強しといたほうがいい。それと、英語は世界共通の……」

「兄貴、この写真見ろ! 海、すっげー透き通ってる!」
「おい、ハルタ」
「わかってるって。クルマの仕組みくらい知ってるっての。プラモートのレース、おれだって全国大会出てんだし。おれのマシンのほうが、コースによっちゃ兄貴より速いもんな」
「おれより速い? ふざけるなよ。おまえの無茶なセッティングはコースを選びすぎるだろ。トップスピードだけ速けりゃいいってもんじゃないんだぞ」

「あーぁ、兄貴の言うこと、いちいち年寄りくせえ。それで中三とか、信じらんねぇよ。もうちょっと、はっちゃけてみれば?」
「うるさい。おれはおまえとは違うんだ。勉強だって生徒会の仕事だって、人の期待を裏切るわけにはいかないんだからな」
「だーかーらー、夏休みぐらい、そういうのやめろってんだ。兄貴はまじめすぎるんだよ。またぶっ倒れんぞ?」

 うるさい。余計なお世話だ。おれはおまえにはなれない。
 ハルタは自由だ。元気よく飛び出していって、いつだって晴れやかに輝いて、誰よりも人目を引く。モーターひとつと電池ふたつで走る自動車模型、プラモートのレース会場でも、あっという間に友達を作っていた。

 おれはハルタとは違う。初対面の誰とでもそつなく話せるけど、自信を持って友達と呼べる相手は、ほんの一握り。人に嫌われないように上手に立ち回れるだけで、人に愛されるキャラクターじゃない。

「ま、今年の夏休みは全面的に兄貴に感謝してるけどな。兄貴のおかげで島に行けるんだ。憧れてたんだよな、超絶いなかで過ごす夏休み! サンキュ、兄貴!」

 ハルタは真夏の太陽みたいに明るく笑って、おれの背中をパシンと叩いた。まあな、と返してやりながら、おれはハルタの目を見られなかった。ハルタの笑顔の日差しだけで、おれは炎天下のミミズみたいに干からびて動けなくなりそうだ。

 おれが龍ノ里島に行くことになったのは、当たり前のはずの日々につまずいてしまったから。ちょっと逃げてみろと、おれを送り出してくれた田宮先生の声が、頭にこびり付いている。
 逃げる、か。おれ、逃げ出したいように見えたのかな? ちゃんとやっているつもりだったんだけどな。