おれはハルタから顔をそむけた。カイリと目が合った。どうしたの、と言うように、カイリは首をかしげる。
ハルタがまた、カイリの視線をおれからもぎ取った。
「カイリも明日、プラモート買ってみたらどうだ?」
「わたしも?」
「カイリは手先が器用だから、すぐコツつかんで、速く走らせられるようになるぜ」
「こういうの、やったことないよ。でも、ハルタもユリトもプラモートが好きだから、わたしも気になる」
「よっしゃ、決定! 全員のマシンがそろったら、家ん中にあるもの使ってコース作ってレースしよう!」
何なんだよ、おまえ? 何でそういう小学生みたいなこと、恥ずかしげもなく言えるわけ? 信じらんないよ。
なのに、カイリもスバルさんも楽しそうに話を合わせるから、ハルタはどんどん調子に乗る。うちにある小さなコースや廊下や階段をどんなふうに使って、レース本番に備えたセッティングの調整をしていたか、得々として披露する。
「こういうの考え付くの、ぜーんぶ兄貴なんだ。兄貴は器用だし、しつこいから、公式レースのコースがどんなに意地悪でも、攻略できるまで、ひたすらお手製コースで練習を続けんだ。当然、兄貴もおれと同じく、かなり速ぇんだ」
注目されて、うつむいた。罪を犯しているわけでもないのに、後ろめたくて恥ずかしい。
背中に掛けたバッグの中に、シュトラールが入っている。シュトラールをバッグの中に潜ませて連れて歩く癖が抜けない。
連れて歩く、だ。持ち歩くんじゃない。ただのモノだと思えない。シュトラールは、いつも一緒の大事な相棒。
小学生のころは、最高に速い相棒を連れて歩いているんだと胸を張ることができた。知らない町の模型屋に行っても、試走用のコースに入れば、おれもハルタもあっという間にヒーローになれた。
だけど。
「昔のこと、ですよ。ぼくがプラモートに熱中してたのは、小学生のころのことです。たった三年前でも、すごく昔に思えます」
見栄、嘘、建前、虚勢、仮面。カッコつけるのはカッコ悪いと思うけれど、何の装備もないままじゃ大人になれない。
拳を握りしめる。手のひらに爪が刺さる。痛い。
小さな工具を毎日握っていたころは、爪を長いまま放置したりなんかしなかった。指先まで完璧に夢中になっていたはずが、いつからだ? こんな無神経な指じゃ、おれ、昔より不器用になっただろうな。ピットインの速さ、自信があったのに。
卒業しなきゃ。否定しなきゃ。忘れ去らなきゃ。大人にならなきゃ。
時間が経てば、どんなに大事なものでも、人は忘れる。当たり前のことが、何でこんなに痛いんだろう? おれは何でこんなに迷って、悩んで、壊れかけているんだろう?
「兄貴、さっきからどうしたんだよ? もしかして、具合悪ぃのか?」
無邪気な声がする。最近かすれがちなハルタの声。そんなガキの声をしているくせに、プラモートのことをいまだに開けっ広げに語るくせに、ハルタは将来の夢がもう見えている。
あせるんだよ、おまえがいると。
「なあ、兄貴。体調、どうなんだよ?」
「別に」
「別にじゃねぇだろ。絶対元気ねぇし。何で?」
「……おまえがバカなせいだ」
「え? おれ? おれが何かしたっけ?」
違う、おまえは悪くない。いや、おまえが悪い。アンバランスな精神を、ハルタがグラグラ揺さぶってくる。だけど、こんなのはいつものことで、いちいち気にしていられないはずで。
どうして気になる? どうして混乱している?
嫉妬のせいだ。ハルタなんかいなければ、全部おれが独占できたのに。友達も、大人からの誉め言葉も、幼なじみの恋も、レースのチャンピオンも。
「……おまえなんかいなければ……」
「あ? 兄貴、何か言った?」
唐突に吹いた強い潮風の中で、おれはつぶやいた。
「ハルタ、おまえさえいなければ、おれは……!」
嫉妬も競争もしなかった。勝ちたいとも頑張ろうとも思えなかった。
ハルタがいなかったら、おれは決して、今のおれにはなれなかった。今のおれの半分も我慢できない、あきらめてばかりのクズになっただろう。ハルタのせいで今のおれになったんだ。よくも悪くも、全部。
八つ当たりの暴力的な衝動で拳を握ったおれに、心配顔のハルタが駆け寄ってこようとする。来るなよ、と思った瞬間だった。
唐突に、潮風が逆巻いた。嵐みたいな、凄まじい強風だ。
カイリがうずくまる。スバルさんがよろめく。身構えたハルタの手から、車体の軽いトルネードが吹き払われる。トルネードが地面に落下する。
風の唸りの中で、モーター音を聞いた。地面に当たった衝撃で、トルネードのスイッチが入ったんだ。
ハルタの口が悲鳴の形に開いた。手を伸ばしても、もう遅い。
トルネードが走る。フェンスなんかあるはずのないオフロード。小刻みに車体が跳ねる。でも、止まらない。丸太の柵は、小さなプラモートの前では何の役にも立たない。
反射的に体が動いた。
だって、いつものことなんだ。トップスピード重視のぶん、コーナリングの安定性に欠けるトルネードはしょっちゅうコースアウトして、おれとハルタが慌ててつかまえに行く。ハルタが間に合わないなら、おれが動かなきゃ。
柵を跳び越える。体が宙に浮く。腕を伸ばしてトルネードをつかまえて、肩越しに振り返る。ハルタが何か叫んでいる。
トルネードをハルタに放り投げた瞬間、急激に体が重くなった。そこから落下が始まった。わずか一瞬。でも、ひどく間延びして感じた。
怖くなかった。死んじゃうんだなと、ぼんやり思った。
おれは海面に叩き付けられた。意識が弾けて消えた。
ハルタがまた、カイリの視線をおれからもぎ取った。
「カイリも明日、プラモート買ってみたらどうだ?」
「わたしも?」
「カイリは手先が器用だから、すぐコツつかんで、速く走らせられるようになるぜ」
「こういうの、やったことないよ。でも、ハルタもユリトもプラモートが好きだから、わたしも気になる」
「よっしゃ、決定! 全員のマシンがそろったら、家ん中にあるもの使ってコース作ってレースしよう!」
何なんだよ、おまえ? 何でそういう小学生みたいなこと、恥ずかしげもなく言えるわけ? 信じらんないよ。
なのに、カイリもスバルさんも楽しそうに話を合わせるから、ハルタはどんどん調子に乗る。うちにある小さなコースや廊下や階段をどんなふうに使って、レース本番に備えたセッティングの調整をしていたか、得々として披露する。
「こういうの考え付くの、ぜーんぶ兄貴なんだ。兄貴は器用だし、しつこいから、公式レースのコースがどんなに意地悪でも、攻略できるまで、ひたすらお手製コースで練習を続けんだ。当然、兄貴もおれと同じく、かなり速ぇんだ」
注目されて、うつむいた。罪を犯しているわけでもないのに、後ろめたくて恥ずかしい。
背中に掛けたバッグの中に、シュトラールが入っている。シュトラールをバッグの中に潜ませて連れて歩く癖が抜けない。
連れて歩く、だ。持ち歩くんじゃない。ただのモノだと思えない。シュトラールは、いつも一緒の大事な相棒。
小学生のころは、最高に速い相棒を連れて歩いているんだと胸を張ることができた。知らない町の模型屋に行っても、試走用のコースに入れば、おれもハルタもあっという間にヒーローになれた。
だけど。
「昔のこと、ですよ。ぼくがプラモートに熱中してたのは、小学生のころのことです。たった三年前でも、すごく昔に思えます」
見栄、嘘、建前、虚勢、仮面。カッコつけるのはカッコ悪いと思うけれど、何の装備もないままじゃ大人になれない。
拳を握りしめる。手のひらに爪が刺さる。痛い。
小さな工具を毎日握っていたころは、爪を長いまま放置したりなんかしなかった。指先まで完璧に夢中になっていたはずが、いつからだ? こんな無神経な指じゃ、おれ、昔より不器用になっただろうな。ピットインの速さ、自信があったのに。
卒業しなきゃ。否定しなきゃ。忘れ去らなきゃ。大人にならなきゃ。
時間が経てば、どんなに大事なものでも、人は忘れる。当たり前のことが、何でこんなに痛いんだろう? おれは何でこんなに迷って、悩んで、壊れかけているんだろう?
「兄貴、さっきからどうしたんだよ? もしかして、具合悪ぃのか?」
無邪気な声がする。最近かすれがちなハルタの声。そんなガキの声をしているくせに、プラモートのことをいまだに開けっ広げに語るくせに、ハルタは将来の夢がもう見えている。
あせるんだよ、おまえがいると。
「なあ、兄貴。体調、どうなんだよ?」
「別に」
「別にじゃねぇだろ。絶対元気ねぇし。何で?」
「……おまえがバカなせいだ」
「え? おれ? おれが何かしたっけ?」
違う、おまえは悪くない。いや、おまえが悪い。アンバランスな精神を、ハルタがグラグラ揺さぶってくる。だけど、こんなのはいつものことで、いちいち気にしていられないはずで。
どうして気になる? どうして混乱している?
嫉妬のせいだ。ハルタなんかいなければ、全部おれが独占できたのに。友達も、大人からの誉め言葉も、幼なじみの恋も、レースのチャンピオンも。
「……おまえなんかいなければ……」
「あ? 兄貴、何か言った?」
唐突に吹いた強い潮風の中で、おれはつぶやいた。
「ハルタ、おまえさえいなければ、おれは……!」
嫉妬も競争もしなかった。勝ちたいとも頑張ろうとも思えなかった。
ハルタがいなかったら、おれは決して、今のおれにはなれなかった。今のおれの半分も我慢できない、あきらめてばかりのクズになっただろう。ハルタのせいで今のおれになったんだ。よくも悪くも、全部。
八つ当たりの暴力的な衝動で拳を握ったおれに、心配顔のハルタが駆け寄ってこようとする。来るなよ、と思った瞬間だった。
唐突に、潮風が逆巻いた。嵐みたいな、凄まじい強風だ。
カイリがうずくまる。スバルさんがよろめく。身構えたハルタの手から、車体の軽いトルネードが吹き払われる。トルネードが地面に落下する。
風の唸りの中で、モーター音を聞いた。地面に当たった衝撃で、トルネードのスイッチが入ったんだ。
ハルタの口が悲鳴の形に開いた。手を伸ばしても、もう遅い。
トルネードが走る。フェンスなんかあるはずのないオフロード。小刻みに車体が跳ねる。でも、止まらない。丸太の柵は、小さなプラモートの前では何の役にも立たない。
反射的に体が動いた。
だって、いつものことなんだ。トップスピード重視のぶん、コーナリングの安定性に欠けるトルネードはしょっちゅうコースアウトして、おれとハルタが慌ててつかまえに行く。ハルタが間に合わないなら、おれが動かなきゃ。
柵を跳び越える。体が宙に浮く。腕を伸ばしてトルネードをつかまえて、肩越しに振り返る。ハルタが何か叫んでいる。
トルネードをハルタに放り投げた瞬間、急激に体が重くなった。そこから落下が始まった。わずか一瞬。でも、ひどく間延びして感じた。
怖くなかった。死んじゃうんだなと、ぼんやり思った。
おれは海面に叩き付けられた。意識が弾けて消えた。