おれはガードレールのそばにへたり込んだ。目を閉じる。セミの声が降ってくる。木漏れ日に首筋を焼かれる。
「どうかしてる。今日のおれ、おかしいだろ」
自分の体調への不安がある。ハルタに対する嫉妬がある。チナミちゃんへの失恋を思い出した。カイリの前でどう振る舞えばいいかわからない。
今という時間につまずいて、未来が少しも見えなくて、そうしたら、過去に追い立てられている。
情けないな。
顔を上げて目を開けたら、ガードレール越しに、山肌に溶け込むように建つ石の祠に気が付いた。大人の体格ではないおれが這っても入れないくらい、小さな祠だ。
龍ノ神がそこに祀られているんだろう。おれがガードレールを蹴ったこと、見られていたんだ。そんなわけないか。龍ノ神なんてもの、存在するはずがない。
平たい自然石を組み合わせたような祠だった。祠の扉が開いている。その中には、龍ノ神の代わりに何が入っているんだろう?
おれは立ち上がって、ガードレールを乗り越えた。山に踏み込んで、祠の前にしゃがむ。中をのぞくと、鏡のようなものが一枚、置かれていた。鏡だととっさに思ったのは、その滑らかな表面に光が反射したからだ。
あれが御神体? 何なんだろう。金属っぽいけれど、透き通っているようにも見える。祠の中が暗くて、よくわからない。
不意に。
「ユリト」
後ろから呼ばれて、飛び上がりながら振り返る。
「カ、カイリ」
「驚かせた?」
「足音くらい立ててよ。びっくりした」
カイリはおれの真後ろにいた。サラサラした髪が、山を渡る風に揺れる。カイリは首をかしげた。
「龍ノ神の祠、どうかした?」
「中に何が納められてるのかと思って。これ、何なんだろう?」
カイリは、こともなげに答えた。
「鱗」
「え、ウロコ?」
「そう。龍の鱗。信じても、信じなくてもいいけど」
カイリはおれに背を向けた。ガードレールに手を掛けて、ひらりと飛び越える。
「龍ノ里島の人たちは、これを龍の鱗として祀って信仰してるのか?」
カイリは肩越しに振り返って、また首をかしげた。透き通る声は、おれの質問に答えなかった。
「とうさんが、そろそろ行けるって。だから、呼びに来たの」
カイリはさっさと歩き出した。取り残されるような格好のおれは、もう一度、龍の鱗らしきものを見やって、それからカイリを追い掛けた。
「どうしておれがここにいるってわかった? 山道を登るとも下るとも言わずに出てきたのに」
「何となく」
カイリはそっと笑った。その笑顔は、ずるい。清楚という、今まで使ったこともない言葉を思い出した。カイリの笑顔は、凛として少し甘くて、清楚だ。
胸の奥に熱がある。どこかがひどく痛いような気がして、おれは息を吐いた。熱と痛みがどこから来るのか、薄々、理解し始めている。
途方に暮れている。
カイリは、チナミちゃんとは全然違うのに、どうしてなんだろう? 失恋した瞬間に知った熱と痛みに、これはよく似ている。でも、もっと熱い。もっと痛い。
バカだな、おれは。カイリと会えるのは、きっと一生に一度きり。この夏だけだ。なのに、どうして?
熱い。痛い。自覚してしまうと、もう、苦しいのが喉元までせり上がってきて、どうしようもなかった。頭の中につらつらと現れては消える言葉が、声になってくれない。
山道を帰る間、おれとカイリの間に会話はなかった。
「どうかしてる。今日のおれ、おかしいだろ」
自分の体調への不安がある。ハルタに対する嫉妬がある。チナミちゃんへの失恋を思い出した。カイリの前でどう振る舞えばいいかわからない。
今という時間につまずいて、未来が少しも見えなくて、そうしたら、過去に追い立てられている。
情けないな。
顔を上げて目を開けたら、ガードレール越しに、山肌に溶け込むように建つ石の祠に気が付いた。大人の体格ではないおれが這っても入れないくらい、小さな祠だ。
龍ノ神がそこに祀られているんだろう。おれがガードレールを蹴ったこと、見られていたんだ。そんなわけないか。龍ノ神なんてもの、存在するはずがない。
平たい自然石を組み合わせたような祠だった。祠の扉が開いている。その中には、龍ノ神の代わりに何が入っているんだろう?
おれは立ち上がって、ガードレールを乗り越えた。山に踏み込んで、祠の前にしゃがむ。中をのぞくと、鏡のようなものが一枚、置かれていた。鏡だととっさに思ったのは、その滑らかな表面に光が反射したからだ。
あれが御神体? 何なんだろう。金属っぽいけれど、透き通っているようにも見える。祠の中が暗くて、よくわからない。
不意に。
「ユリト」
後ろから呼ばれて、飛び上がりながら振り返る。
「カ、カイリ」
「驚かせた?」
「足音くらい立ててよ。びっくりした」
カイリはおれの真後ろにいた。サラサラした髪が、山を渡る風に揺れる。カイリは首をかしげた。
「龍ノ神の祠、どうかした?」
「中に何が納められてるのかと思って。これ、何なんだろう?」
カイリは、こともなげに答えた。
「鱗」
「え、ウロコ?」
「そう。龍の鱗。信じても、信じなくてもいいけど」
カイリはおれに背を向けた。ガードレールに手を掛けて、ひらりと飛び越える。
「龍ノ里島の人たちは、これを龍の鱗として祀って信仰してるのか?」
カイリは肩越しに振り返って、また首をかしげた。透き通る声は、おれの質問に答えなかった。
「とうさんが、そろそろ行けるって。だから、呼びに来たの」
カイリはさっさと歩き出した。取り残されるような格好のおれは、もう一度、龍の鱗らしきものを見やって、それからカイリを追い掛けた。
「どうしておれがここにいるってわかった? 山道を登るとも下るとも言わずに出てきたのに」
「何となく」
カイリはそっと笑った。その笑顔は、ずるい。清楚という、今まで使ったこともない言葉を思い出した。カイリの笑顔は、凛として少し甘くて、清楚だ。
胸の奥に熱がある。どこかがひどく痛いような気がして、おれは息を吐いた。熱と痛みがどこから来るのか、薄々、理解し始めている。
途方に暮れている。
カイリは、チナミちゃんとは全然違うのに、どうしてなんだろう? 失恋した瞬間に知った熱と痛みに、これはよく似ている。でも、もっと熱い。もっと痛い。
バカだな、おれは。カイリと会えるのは、きっと一生に一度きり。この夏だけだ。なのに、どうして?
熱い。痛い。自覚してしまうと、もう、苦しいのが喉元までせり上がってきて、どうしようもなかった。頭の中につらつらと現れては消える言葉が、声になってくれない。
山道を帰る間、おれとカイリの間に会話はなかった。