ふっと、かすかな息の音をたてて、カイリが微笑んだ。さっきとは違う話題だった。
「今日はハルタとたくさん話したよ。でも、ハルタのことよりユリトのことをたくさん知った」
「おれのこと?」
「ハルタが話すのは、ユリトのことばっかり。ハルタは、ユリトが大好きなんだね。何をするにも、どこに行くにも、ユリトがいちばん近くで背中を押してくれるから心強いって言ってた」
「あいつ、あまりにも危なっかしいから、ほっとけないんだ」
「危なっかしいのは、ユリトもそうだと思うけど」
ぐうの音も出ない。昼間、いきなり倒れて迷惑を掛けたのは、ほかでもないおれだ。今はもはや見栄を張るのも疲れてしまった。格好を付ける余裕もない。こんなの、自分らしくないはずだけど。
「どうしてこうなっちゃったのかな……」
「眠れなかったり、倒れたりすること?」
「それもひっくるめて、今の状況、全部。最初の原因は何だったんだろう? 調子が狂い出した直接のきっかけは何だったんだろう? どこまでさかのぼって答えを探せばいいんだろう?」
「それがわかったら、ユリトのためになるの?」
「答えがハッキリしない問題って、苦手なんだ。だから、きちんと答えが出せる数学や理科が好きで」
その一方で、おれが抱えるこの問題は、ハッキリした答えを出すのが怖い。おれの調子を狂わせる大きな要因は、間違いなく、ハルタだから。
おれにできないことを、ハルタは平然とやってのける。何でもできるはずのおれが、どうしてもハルタに勝てない。
ハルタがおれを嫌っているなら、それか、ハルタがどうしようもない不良だったら、おれは気楽だ。あいつのせいでおれがおかしくなったんだと上手に訴えて、まわりに納得してもらえる。おれは味方に囲まれて、王さまになれるだろう。
なのに、ハルタはいいやつだ。世話が焼ける弟だけど、おかげでおれは孤独だったことがない。学校での評価はおれのほうが上だけど、本当はハルタのほうが輝かしい才能を持っている。
自慢の弟なんだ。ハルタに言ってやったことはないし、誰の前でもそれを語ったことはない。でも、ハルタはおれの自慢だ。そして、だからこそ、おれはハルタに嫉妬する。おれがハルタに勝てないことをいちばんよく知っているのは、おれ自身だ。
「ハルタの将来の夢は、レーサーなんだってね」
「ああ、うん。あいつらしいよな」
「ユリトがいっぱい調べてくれたって。ハルタひとりじゃ何もできなかったけど、ユリトが手伝ってくれたから、レーサーになる方法がわかったって。ハルタは、ユリトを喜ばせるためにも、いつか必ずチャンピオンになるって言ってた」
スーッと、心に隙間風が吹いた。喜べないと思った。今のおれは、ハルタの活躍を受け止めることができない。あいつが輝けば輝くほど、影みたいなおれは、どんどん黒ずんで闇に呑まれていく。
「勝手なんだよ、ハルタは。おれの気も知らないで」
ハルタのバカ野郎。おまえと違って、おれは純粋な人間じゃないんだ。おれはおまえに、どうしようもない劣等感をいだいている。
「ユリトは、将来なりたいもの、ないの?」
カイリの透明な声は、龍ノ里島のきれいな景色の一つみたいで、おれはカイリの前で嘘をついちゃいけない気がした。
「レース、いいなって、おれも思ってた。ハルタと一緒に初めて本物のサーキットに行ったとき、レーサーになりたいって言ったハルタはすごく正しいと感じた。でも、おれには、レーサーになれるような才能はない。ハルタの真似をしたくないしな」
「ハルタは、ユリトのほうがいろんな才能があるって言ってたよ」
「まさか。そんなことないって、おれ自身がいちばんわかってる。おれはちょっと手先が器用なだけで、サーキットで高速マシンを走らせるような反射神経も動体視力もない。マシンのカッコよさに憧れても、乗ってみたいとは思えない」
「乗りたくないの?」
「能力的に無理だ。自分の身の丈はわかってる。そこがハルタとのいちばんの違いかもな。あいつには、何も考えずに突っ込んでいく勢いと度胸がある。おれは、何か全部わかっちゃって、できないことはやりたくない。だから、何でもできるように見える」
言葉にして、気付いた。おれが何で立ち止まっているのかが、ストンと理解できた。
おれ、できないと思っているんだ。まっすぐ生きていくことができそうになくて、このまま進んでいきたくないせいで、体が拒否反応を起こしている。
「今日はハルタとたくさん話したよ。でも、ハルタのことよりユリトのことをたくさん知った」
「おれのこと?」
「ハルタが話すのは、ユリトのことばっかり。ハルタは、ユリトが大好きなんだね。何をするにも、どこに行くにも、ユリトがいちばん近くで背中を押してくれるから心強いって言ってた」
「あいつ、あまりにも危なっかしいから、ほっとけないんだ」
「危なっかしいのは、ユリトもそうだと思うけど」
ぐうの音も出ない。昼間、いきなり倒れて迷惑を掛けたのは、ほかでもないおれだ。今はもはや見栄を張るのも疲れてしまった。格好を付ける余裕もない。こんなの、自分らしくないはずだけど。
「どうしてこうなっちゃったのかな……」
「眠れなかったり、倒れたりすること?」
「それもひっくるめて、今の状況、全部。最初の原因は何だったんだろう? 調子が狂い出した直接のきっかけは何だったんだろう? どこまでさかのぼって答えを探せばいいんだろう?」
「それがわかったら、ユリトのためになるの?」
「答えがハッキリしない問題って、苦手なんだ。だから、きちんと答えが出せる数学や理科が好きで」
その一方で、おれが抱えるこの問題は、ハッキリした答えを出すのが怖い。おれの調子を狂わせる大きな要因は、間違いなく、ハルタだから。
おれにできないことを、ハルタは平然とやってのける。何でもできるはずのおれが、どうしてもハルタに勝てない。
ハルタがおれを嫌っているなら、それか、ハルタがどうしようもない不良だったら、おれは気楽だ。あいつのせいでおれがおかしくなったんだと上手に訴えて、まわりに納得してもらえる。おれは味方に囲まれて、王さまになれるだろう。
なのに、ハルタはいいやつだ。世話が焼ける弟だけど、おかげでおれは孤独だったことがない。学校での評価はおれのほうが上だけど、本当はハルタのほうが輝かしい才能を持っている。
自慢の弟なんだ。ハルタに言ってやったことはないし、誰の前でもそれを語ったことはない。でも、ハルタはおれの自慢だ。そして、だからこそ、おれはハルタに嫉妬する。おれがハルタに勝てないことをいちばんよく知っているのは、おれ自身だ。
「ハルタの将来の夢は、レーサーなんだってね」
「ああ、うん。あいつらしいよな」
「ユリトがいっぱい調べてくれたって。ハルタひとりじゃ何もできなかったけど、ユリトが手伝ってくれたから、レーサーになる方法がわかったって。ハルタは、ユリトを喜ばせるためにも、いつか必ずチャンピオンになるって言ってた」
スーッと、心に隙間風が吹いた。喜べないと思った。今のおれは、ハルタの活躍を受け止めることができない。あいつが輝けば輝くほど、影みたいなおれは、どんどん黒ずんで闇に呑まれていく。
「勝手なんだよ、ハルタは。おれの気も知らないで」
ハルタのバカ野郎。おまえと違って、おれは純粋な人間じゃないんだ。おれはおまえに、どうしようもない劣等感をいだいている。
「ユリトは、将来なりたいもの、ないの?」
カイリの透明な声は、龍ノ里島のきれいな景色の一つみたいで、おれはカイリの前で嘘をついちゃいけない気がした。
「レース、いいなって、おれも思ってた。ハルタと一緒に初めて本物のサーキットに行ったとき、レーサーになりたいって言ったハルタはすごく正しいと感じた。でも、おれには、レーサーになれるような才能はない。ハルタの真似をしたくないしな」
「ハルタは、ユリトのほうがいろんな才能があるって言ってたよ」
「まさか。そんなことないって、おれ自身がいちばんわかってる。おれはちょっと手先が器用なだけで、サーキットで高速マシンを走らせるような反射神経も動体視力もない。マシンのカッコよさに憧れても、乗ってみたいとは思えない」
「乗りたくないの?」
「能力的に無理だ。自分の身の丈はわかってる。そこがハルタとのいちばんの違いかもな。あいつには、何も考えずに突っ込んでいく勢いと度胸がある。おれは、何か全部わかっちゃって、できないことはやりたくない。だから、何でもできるように見える」
言葉にして、気付いた。おれが何で立ち止まっているのかが、ストンと理解できた。
おれ、できないと思っているんだ。まっすぐ生きていくことができそうになくて、このまま進んでいきたくないせいで、体が拒否反応を起こしている。