「なあ、兄貴。レーサーになるにはどうしたらいいんだろ? 何か知ってるか?」
 ハルタが初めておれにそう言ったのは、おれが小学五年生のころだった。ハルタは小四だった。

 それはプラモートの大きなレースの帰りのことで、おれはテンションが低かった。ギリギリのところでハルタに負けた。ストレートの多い、スピード重視のハルタの得意なコースではあったけれど、悔しかった。

「レーサーって、急に何言い出すんだ?」
「言い出したのは急だけど、前から思ってたんだよ。プラモートがチップに記憶したレースの再現映像を初めて見たときから、ずーっと思ってたんだ。おれ、レーサーになりたい!」

「レーサーって、プロのレーシングドライバーって意味か?」
「そっ! 世界一速いクルマに乗りたい!」
「世界一って、バカだな。どれだけ難しいと思ってる?」
「誰でもなれるもんじゃねぇのはわかってるよ。だから、なりてぇんだ、世界一」

 ハルタは漠然と、レーサーになりたいと言うけれど、クルマのレースにもいろんな種類がある。
 わかりやすいところでいえば、ツーリングカーとフォーミュラカーのレースは、見た目の印象が全然違う。ツーリングカーは、路上を走る普通のクルマと比較的似た姿だ。フォーミュラカーはタイヤがカウルで覆われていない、独特の形をしている。
 サーキットの中でやるレースか、市街地の道路を走るか、オフロードの環境を駆け抜けるか。スプリントレースなのか、耐久レースなのか、ラリーなのか。

 たいていのレースは、毎年決まったシーズンに開幕して、あちこちを転戦してポイントを加算していくチャンピオンシップ形式だ。フィギュアスケートやテニスの世界選手権と、システムが似ている。
 そういうざっくりしたことを説明すると、ハルタは目を輝かせて聞いていた。そして言った。

「おれさ、昔から、F1ってカッコいいなって思ってた。普通のクルマはそこまで興味ねぇんだよ。だって、似てないじゃん、形」
 F1というのは、フォーミュラカーレースの最高峰のシリーズだ。人ひとりがギリギリ乗り込める、速さだけを追求した極限のマシンがしのぎを削る。

「世界一になりたいって、F1レーサーになりたいって意味か?」
「F1レーサーの頂点に立ちたい。やるからには、狙うのは一位だろ! 今日のレースでおれのマシンがやったみたいにさ、将来はおれ自身が、誰よりも速いスピードで走ってやるんだ」

 ハルタらしい、単純明快な将来の夢だった。
 おれはちょっと納得した。ハルタがプラモートのレースを見守るとき、応援するというより自分に言い聞かせるようなエールを叫ぶ。「頑張れ!」じゃなくて、「行くぞ、行けるぞ!」って。ハルタはレース中、自分がプラモートに乗っているつもりになるんだろう。

 なあ、と、ハルタがおれにまとわり付いた。
「どうやったら、レーサーになれるんだろ? F1のマシンに乗るにも、やっぱ、クルマの免許とかいるのかな?」
「いるんじゃないのか? 詳しくは知らないけど」
「へえ、兄貴も知らないことあるんだな」
「当たり前だろ」

「じゃあさ、誰に訊いたらわかる?」
「ネットで調べてみたらいい」
「どうやって調べんだ? ケータイ?」
「とうさんのパソコンを使わせてもらえよ。ケータイじゃメモリが小さいから、サイトによってはうまく表示されない。調べ物をするには、パソコンだ」

「ふーん。ケータイって、意外と不便なのか。そんじゃ、兄貴、家に帰ったら、調べんの手伝ってくれよ」
「手伝うって、おまえな、どうせおれが全部やることになるんだろ? 調べてくださいって言えよ」
「はいはーい。調べてくださーい。お願いしまーす」

 ハルタは大雑把で、いい加減で、わかりやすくて、人に甘えるのがうまくて。気付いたら、ハルタの甘えを受け入れてしまっている。ハルタには、人の心を簡単に動かす何かが備わっている。
 たぶん、そういうところがハルタの魅力っていうやつなんだろう。おれは、いちばん身近にそれを思い知っている。