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 目を開けたとき、状況がよくわからなかった。布が見えた。体の下に感じるのはコンクリート。でも、頭の下には、もちもちと柔らかい枕がある。
「ユリト、起きた?」
 声が降ってきた。カイリの声だ。ぼんやりした視界の真ん中には、何かの布越しに、おれを見下ろすカイリの顔。木陰だろうか、薄暗い。

「おれは……?」
「いきなり倒れた」

 唐突に、おれは状況を理解した。
 見えている布の正体、胸だ。タンクトップを着たカイリの胸。下手をしたら額に触れそうな近さに、その胸がある。おれの頭の下にあるのは、カイリの太ももだ。つまり、膝枕というやつだ。

 ボッ、と音がしそうな勢いで顔がほてった。言葉が出ない。全身、固まってしまう。ヤバい以外の何物でもない。
 起き上がらなきゃ。離れなきゃ。でも、この状態から体を起こすには、カイリの胸が邪魔だ。メチャクチャ大きいってわけじゃないけど、おれの顔をのぞき込むために前かがみになっているから、視界の中での存在感がすごい。これ、ほんとにマジでヤバい。

 カイリの手がおれの額に載せられた。その手が動いて、頬と首筋にも触れる。
「体温、戻ったね。倒れたときは体温が低くなってた。呼吸数も心拍数も少なくて」

 ちょっと待って、カイリは何で平然としていられるんだ? おれは視線をそらすこともできないくらい、本気で頭がパニックなのに。
 かすかな風を感じる。視界の隅に、カイリがおれの帽子をうちわ代わりにあおぐのが見えた。

「気分悪くない?」
「だ、だい、じょうぶ……」
「ここは校舎の外だよ。風が抜けて涼しい日陰を探して、ハルタと二人で運んできた。ハルタは今、うちまで走って飲み物を取りに行ってる。ユリト、脱水症状気味だから」

 校舎の水道は止まっていること。近くにあった自動販売機もすでに撤去されたこと。唯一残っている商店に行くより家に戻るほうが近いこと。カイリの説明を、回らない頭で一生懸命、理解する。
 ということは、今、おれとカイリの二人きり?
 やめてくれよ、もう。朝もヤバかったけど。ずぶ濡れで透けていて、気になって仕方なくて。

 だけど、今はある意味、それ以上だ。だって、接近どころか接触していて、手でも顔でもちょっと動かすだけで、いくらでもヤバいことをやってしまえる。
 おれは魔が差してしまいそうで、その一方、緊張しすぎて体が動かない。理性と衝動がギシギシとせめぎ合う均衡状態。少なかったと聞いたばかりの呼吸数と心拍数が、急激に上昇する。

 ほてりは、でも、長く続かなかった。
「ハルタに聞いた。半年近く前から、ユリトはときどき倒れるんだって」
 逆さ吊りにして冷水に突っ込まれた気分。

「……聞いたんだ」
「うん。ユリト、夜、あんまり眠れないんでしょ。その反動で、昼間にいきなり意識を失って眠ってしまうって、ハルタが言ってた」
 カイリに弱みを知られてしまった。スーッと心が冷えていく。ハルタのバカ野郎。誰にでもペラペラしゃべるなよ。こんなの、カッコ悪いのに。

 おれが教室で倒れた後の、学校の女子たちの反応が頭によみがえった。実は病弱なのを隠して微笑んでいるのが逆に貴公子っぽくて素敵だって、おれを誉めているつもりらしかった。
 ふざけるなよ。意味がわからない。病弱なんて、おれはそんなんじゃないのに。そもそも貴公子でも何でもない。笑っているのは、ただの仮面だ。

 眠れない夜のいらだちと、疲れの取れない体の重さと、いつ倒れるかわからない不安と恐怖。こんなものに耐えなきゃならない。投げ出すこともあきらめることも許されない。おれの気持ちは、誰にも理解されない。

「ハルタから、どこまで聞いた?」
「少しだけ。二言、三言くらい。ユリトはいつも体調が悪いから心配だって、ハルタが泣きそうな顔してた」
「実際、あいつ、すぐ泣くから。おれは確かに体調悪いけど、薬を飲んだりするようなことでもないんだ。眠くなる薬を病院で出されそうになったときも断った」

「どうして?」
「薬を飲んだら、自分は病気だって認めることになる気がした。違うんだ。おれは病気なんかじゃない。今までうまくやってこられた。失敗や挫折はときどきあったけど、ちゃんと踏み台にして、頑張り続けることができた。このまま行けるはずなんだ」

 目を閉じながら、カイリから顔をそむけた。耳の下には、カイリの太ももの少し湿って柔らかい感触。その肌にキスしたい衝動が起こった自分に、瞬間的に吐き気がした。