もうすぐ中学二年が終わる三月中旬のことだった。
「剣持、ちょっと頼まれてくれるか?」
「はい、何でしょう?」
 生徒会顧問の先生から呼ばれて、おれは笑顔で足を止めた。内心、少しイラッとしている。

 ザワザワする廊下、部活に移動する途中、下駄箱に向かう人たちの注目。どうしてこのタイミングなんだ? おれは早く部活に行きたいのに。こんな場所じゃ、人目も気になるのに。
 でも、先生はおれのいらだちに気付く様子もない。完璧に隠しているから当然か。先生の用事は、生徒会活動のことだった。

「今度の集会は、春休みに全国大会に行く生徒たちの壮行会も兼ねてるだろう。校長先生からの激励の言葉と選手団代表の挨拶がプログラムに入るのは決まってるんだが、生徒会からのスピーチも一言どうかという意見が出ている」
「はい、この間、教頭先生からうかがいました」

「そうか、だったら話が早いな。剣持、おまえにスピーチを頼みたい」
「えっ? でも、ぼくは生徒会長として、集会の別の場面でも壇上に立ちますよ」
「生徒会役員一同、会長の剣持を差し置いて登壇したくないんだそうだ。剣持が表に出るおかげで生徒会の人気も上々だし、運動部の女子生徒の中には剣持に接近できるチャンスだと喜んでる者もいる。ここは一つ、みんなの期待に応えてやってくれ」

 何だ、最初から包囲されているんじゃないか。胸の内では先生や役員メンバーの根回しを鬱陶しく思いながら、おれは笑顔で、わかりましたと答えておく。先生は機嫌よくおれの肩を叩いて、職員室へ戻っていった。

 今度の集会って、週明けだ。どうせなら、もっと早く話を回してほしかった。短いスピーチでいいんだろうけど、原稿を考えるのはそれなりに時間が掛かる。試合の応援だから縁起を担ぐ人もいて、言葉の端々まで気を付けないといけない。

 人通りの多い廊下でのことだった。当然ながら、今のやり取りはまわりにも聞かれている。同じクラスの女子の集団も、しっかり聞き耳を立てていたらしい。おれは、あっという間に彼女たちに囲まれた。

「やっぱり剣持くんって、先生方からも頼りにされてるんだね! 生徒会長で、頭いいし、大人っぽいし、顔もカッコいいし、頼りになるもんね。文句なしよね!」
「そんなことないですよ」
「えーっ、選挙のとき、圧倒的だったじゃなーい! しかも二期連続!」
「いえ、それは、いろいろ要因が重なっただけの偶然でしょう」

 おれがお茶を濁そうとしても、女子の集団は勝手に盛り上がっていて、歯止めが利かない。選挙で誰に入れたとか何とか、生徒会の規約的に、大っぴらに騒いでいい話題じゃないのに。

「ねえねえ、だけどさ、一部の男子は剣持くんに投票しなかったっぽいよ! 剣持くんってモテるから、ひがまれてるよね。嫌がらせとか、されてない?」
「全然、そんな心配は無用ですよ。ぼくなんか、ひがまれるほどのものでもありませんし」
「ほらほら、謙遜しちゃってー! むしろ嫌味だぞ? 剣持くんは、もっと自信持っちゃっていいのになー」

 笑ってごまかして、どうにか話を終わらせる。部活に行くからと手を振って、一人になった瞬間、笑顔の仮面がはがれ落ちた。どっと疲れが押し寄せてくる。
 期待の重みは背負い慣れている。小学生のころからずっとだ。人に認められるにはどうしたらいいか、その正解の方法が身に染み付いている。一度引き受けたが最後、仕事と信用は連鎖反応でのし掛かってくる。逃れられない。

 モテるかどうかと問われれば、事実として、おれはモテる。ただ、相手が本気だと感じられたことは一度もない。好きだと言ってくる彼女たちはミーハーなだけ。剣持ユリトという人間が、学校で人気を得るのに必要な項目をいろいろと満たしているだけ。
 本気じゃない恋を押し売りに来られても、安うけ合いする趣味はない。本気になれない恋なんて汚くて、ほしいとも思えない。

「時間、取られちゃったな」
 急がないと、また仲間や後輩たちに準備を全部やらせることになる。そんなのは申し訳ない。

 バスケ部は、何となく入った。ハルタがやりそうにない部活なら何でもいいというのが本音だった。ハルタの運動能力には、どうやったって勝てない。ハルタの活躍を間近で見ていたくない。

 予想していたとおり、ハルタはバスケ部には入らなかった。あいつは、屋外で太陽の光を浴びながら走り回るのが好きなんだ。いくつかの部活を冷やかしで体験したハルタは、無所属のまま助っ人として呼ばれるという、唯一無二のポジションに落ち着いた。

 おれがバスケ部に入部して、もうすぐ二年。すばしっこさと器用さは、先生や仲間たちも認めるところだ。フリースローも外さない。大して身長のないおれでも、低いドリブルと広い視野を武器にパス回しを磨いて、中陣での司令塔を担えるようになっている。

 おもしろくなってきた部活に水を差すのは、生徒会活動だ。放課後、何かと用事が入る。規定練の開始時間までにどうにか体育館に駆け付けても、全員でやるべき準備をすっぽかすわけで、気が引ける。うちの部にはマネージャーがいないから、なおさらだ。

 まあ、今日はまだマシか。先生につかまった割に、すぐ解放されたんだ。頭を切り替えよう。部活、頑張ろう。
 小走りで体育館に向かっていたら、同じく急ぎ足の部活仲間と合流した。他愛ない話をするうちに体育館に着いて、準備を手伝って、ストレッチをして、規定練が始まって。
 スクエアパスの最中だった。おれはいきなり倒れて、保健室に運ばれた。倒れるときに肩から行ったせいで、軽く筋を傷めた。額も床で打って腫れた。
 学校で倒れたのは二回目だ。保健室にすっ飛んできたハルタが余計な口出しをしたせいで、家でも何度か倒れていることを、保健の先生やバスケ部顧問の先生に知られてしまった。これまでは田宮先生が、事情を知りつつも黙っていてくれたのに。
 顧問の先生からは厳しい言葉を突き付けられた。

「睡眠障害の一種なんだろうが、その体調でバスケをするのは危険だぞ。キッチリ治るまでコートに入らないほうがいい」
「でも、先生、ぼくは……」
「レギュラーのおまえを外すのは、チームとしてもつらい。だが、剣持、思春期の体調不良を甘く見るな。重篤な病気のケースもあるんだぞ。一生引きずる障害を起こしてしまうかもしれない。ちゃんと病院にかかることだ。いいな?」

 はい、と答えるしかなかった。ハルタがおれの立場だったら、泣いて暴れて抗議しただろう。おれは、そんなみっともないことはできない。聞き分けのいいふりをして、平気な顔をして、自分を押し殺す。
 大丈夫。優等生役は慣れている。このくらい、逆境でも何でもない。県大会にも行けないレベルの部活で引退試合に出られない程度の問題なんて、たいしたことない。おれは大丈夫。まだ大丈夫だ。