ふと、カイリが海の彼方を指差した。
「日が昇るよ」
その途端、世界が強く輝いた。朝日が海から顔を出したんだ。
「うわ、まぶしい」
思わず手をかざして陰を作った。帽子と手の隙間から、目を細めて、朝が始まる様子を見つめる。
真夏の太陽は、生まれた瞬間から、じりっと熱い。東の空と海が赤く燃える。急速に明るくなる空の色に、最後まで残っていた星屑も吸い込まれていく。
きれいだ。目に映るもの、肌に触れる風、耳をくすぐる音も鼻に馴染む潮の香りも、何もかもがきれいだ。
おれはしばらく、本当に呼吸まで忘れて、明けていく世界の中にひたっていた。胸が苦しくなってきて、吸い込んだままだった息を吐き出して、やっと我に返る。
「海から朝日が昇るのを見たのは初めてだよ」
つぶやいたら、カイリのまわりの空気が、ふっと緩んだ。笑顔の気配に惹き付けられて、おれはカイリのほうを向いた。
「ユリトのちゃんとした笑顔、見たのは初めて。ずっと嘘っぽい笑い方してた」
透き通りそうな薄い茶色の目が、光の中でキラキラしている。カイリこそあんまり笑わないのに、今はちゃんとした笑顔だ。仏頂面みたいな普段の顔もきれいだけれど、笑うと印象が違う。単純に、純粋に、すごくかわいい。
ヤバい、顔が熱い。朝日に照らされるせいじゃなくて。
笑顔だと言われたばっかりなのに、おれはもう、うろたえてうつむいた。膝の上のシュトラールがキラリと光を反射して、まるでおれをからかうみたいだ。
「それ、何?」
カイリがおれのほうに身を乗り出した。
それ、とカイリが言ったのは、もちろんシュトラールのことだ。こういうのは男子の趣味だから、カイリは知らないんだろう。この島で売っているとも思えないし。
「プラモートっていって、電池で動く自動車模型だよ」
「あ、昨日、クルマの中でハルタが話してたやつ。ユリト、持ってきてたんだ?」
気まずさで、喉が詰まる。
「子どもっぽいって、自分でも思うんだけど。こいつのこと、こうしてどこにでも連れていく癖が、いまだに抜けなくて。小学生のころまでで、レースは卒業したのに」
おれはマシンをカバンに隠そうとした。その肘のあたりに、カイリの濡れた指先が触れた。
「もっとよく見せて。この子の形、すごくきれい。速そうだね。動くんでしょ?」
興味を示されるなんて、想像してもいなかった。カイリに触れられたところが熱い。
「本当は動くよ。ボディに隠れてるけど、後輪のシャフトのあたりにモーターが内蔵されてて、その前側に電池が二本入ってて、それが動力。シャーシの裏のスイッチをオンにしたら、走り出す」
「ボディって? シャーシ?」
「あ、ごめん、言葉足らずで。ボディは、マシンの外装のこと。シャーシは、ボディの下の土台の部分」
「動かしてみて」
おれはかぶりを振った。
「今のこいつは動かないんだ」
「どうして?」
「ひびに気付かずにいたら、いつの間にかシャーシが割れて、チップも一緒に壊れてしまった。モーターや電池やギヤはしょっちゅう交換するし、パーツはコースごとに付け替えるし、シャーシも買い替えることはできるんだけど、チップだけは……」
おれはマシンのボディを外して、機械部分の奥に搭載されたチップをカイリに見せた。小指の爪の半分くらいしかない、ごく薄いチップは、ボディの破損もろとも真っ二つになっている。
「これは何のための部品?」
「走りを記憶するための頭脳だよ。ちょっと高いから、載せてないレーサーも多いけど。公式レースの決勝では、正確なタイムを算出するためにも使われる」
「記憶?」
「走ったことの全部の履歴が、ここに記憶されてる。プラモートのメーカーが出してる専用の機械を使えば、その記憶から、マシンが体感したレースを再現する映像が観られる」
「ユリトも観たことあるの?」
「あるよ。何度もある。すごい世界に連れていってもらえるんだ。だから、チップが壊れたのが目に入った瞬間、こいつが死んだって思った。おれとずっと一緒に走ってきたこいつの記憶が、こんなふうに割れっちゃったんじゃ、もう再現できないんだ」
「日が昇るよ」
その途端、世界が強く輝いた。朝日が海から顔を出したんだ。
「うわ、まぶしい」
思わず手をかざして陰を作った。帽子と手の隙間から、目を細めて、朝が始まる様子を見つめる。
真夏の太陽は、生まれた瞬間から、じりっと熱い。東の空と海が赤く燃える。急速に明るくなる空の色に、最後まで残っていた星屑も吸い込まれていく。
きれいだ。目に映るもの、肌に触れる風、耳をくすぐる音も鼻に馴染む潮の香りも、何もかもがきれいだ。
おれはしばらく、本当に呼吸まで忘れて、明けていく世界の中にひたっていた。胸が苦しくなってきて、吸い込んだままだった息を吐き出して、やっと我に返る。
「海から朝日が昇るのを見たのは初めてだよ」
つぶやいたら、カイリのまわりの空気が、ふっと緩んだ。笑顔の気配に惹き付けられて、おれはカイリのほうを向いた。
「ユリトのちゃんとした笑顔、見たのは初めて。ずっと嘘っぽい笑い方してた」
透き通りそうな薄い茶色の目が、光の中でキラキラしている。カイリこそあんまり笑わないのに、今はちゃんとした笑顔だ。仏頂面みたいな普段の顔もきれいだけれど、笑うと印象が違う。単純に、純粋に、すごくかわいい。
ヤバい、顔が熱い。朝日に照らされるせいじゃなくて。
笑顔だと言われたばっかりなのに、おれはもう、うろたえてうつむいた。膝の上のシュトラールがキラリと光を反射して、まるでおれをからかうみたいだ。
「それ、何?」
カイリがおれのほうに身を乗り出した。
それ、とカイリが言ったのは、もちろんシュトラールのことだ。こういうのは男子の趣味だから、カイリは知らないんだろう。この島で売っているとも思えないし。
「プラモートっていって、電池で動く自動車模型だよ」
「あ、昨日、クルマの中でハルタが話してたやつ。ユリト、持ってきてたんだ?」
気まずさで、喉が詰まる。
「子どもっぽいって、自分でも思うんだけど。こいつのこと、こうしてどこにでも連れていく癖が、いまだに抜けなくて。小学生のころまでで、レースは卒業したのに」
おれはマシンをカバンに隠そうとした。その肘のあたりに、カイリの濡れた指先が触れた。
「もっとよく見せて。この子の形、すごくきれい。速そうだね。動くんでしょ?」
興味を示されるなんて、想像してもいなかった。カイリに触れられたところが熱い。
「本当は動くよ。ボディに隠れてるけど、後輪のシャフトのあたりにモーターが内蔵されてて、その前側に電池が二本入ってて、それが動力。シャーシの裏のスイッチをオンにしたら、走り出す」
「ボディって? シャーシ?」
「あ、ごめん、言葉足らずで。ボディは、マシンの外装のこと。シャーシは、ボディの下の土台の部分」
「動かしてみて」
おれはかぶりを振った。
「今のこいつは動かないんだ」
「どうして?」
「ひびに気付かずにいたら、いつの間にかシャーシが割れて、チップも一緒に壊れてしまった。モーターや電池やギヤはしょっちゅう交換するし、パーツはコースごとに付け替えるし、シャーシも買い替えることはできるんだけど、チップだけは……」
おれはマシンのボディを外して、機械部分の奥に搭載されたチップをカイリに見せた。小指の爪の半分くらいしかない、ごく薄いチップは、ボディの破損もろとも真っ二つになっている。
「これは何のための部品?」
「走りを記憶するための頭脳だよ。ちょっと高いから、載せてないレーサーも多いけど。公式レースの決勝では、正確なタイムを算出するためにも使われる」
「記憶?」
「走ったことの全部の履歴が、ここに記憶されてる。プラモートのメーカーが出してる専用の機械を使えば、その記憶から、マシンが体感したレースを再現する映像が観られる」
「ユリトも観たことあるの?」
「あるよ。何度もある。すごい世界に連れていってもらえるんだ。だから、チップが壊れたのが目に入った瞬間、こいつが死んだって思った。おれとずっと一緒に走ってきたこいつの記憶が、こんなふうに割れっちゃったんじゃ、もう再現できないんだ」