港に近付くにつれて、一歩ごとに、世界が明るくなっていく。銀色の海岸線はまぶしすぎて、そろそろ直視できない。白く澄んだ朝日の光が熱い。船影は見えないけれど、遠くの海からエンジン音が聞こえる。

 埋め立てられて直線的な海岸線に到達した。左に行けば、波止場の待合所や浮き桟橋がある。右は、空き家や木造校舎の学校が山に呑まれそうに建っていて、その先に行くと、コンクリートの防波堤が伸びている。防波堤の突端には、低い灯台。

 おれは海沿いの道を右へ、防波堤に向かって歩き出した。空は、夜の闇も星もほとんど消えている。どこまでも高い高い、吸い込まれそうに淡い青。東の空だけが、いつしか赤く燃え始めている。

「あの赤は、好きだな。おまえの色に似てるよ」
 おれはバッグにそっと触れた。自動車模型一台がピッタリ入るプラスチックケースの形を、布越しに感じる。白地に赤のグラデーションを配したマシンの姿は、きれいな赤色を発見するたびに脳裏をよぎる。

 防波堤に腰を下ろした。ざらざらしたコンクリートは、案外ひんやりしている。おれは何となく、バッグの中のケースからマシンを取り出した。朝の光にかざしてみる。
 マシンのボディには傷がたくさん入っている。百戦錬磨の相棒だった、小さなクルマ。どうしてこんなところにまで連れてきちゃったんだろうな。

 プラモートを手にした初めのころは、ボディにナイフやニッパーを入れるのが怖くて、パッケージされたままの形で走らせていた。改造を始めたきっかけは、走行中のトラブルで割れたり欠けたりしたのを、泣きながら修理したこと。

 シュトラールは、箱詰めされて売られていたころの面影を存分に残しながら、実は、原形のままの箇所はほとんどない。いちばん大きな改造は、ボディが真っ二つに割れたときの補修のために、サスペンションを組み込んだやつだろう。車高もグッと下げた。

 大会のたびに違うマシンを用意するレーサーもいた。むしろ、そっちのほうが多かったかもしれない。マシンもパーツも山ほど持っているレーサーには、自前のコレクションの写真を楽しませてもらったけれど、自分はちょっと違うなと感じた。

 最適解を見付けたい。できるだけシンプルでスマートな解を。
 だから、可変式のパーツで重武装するのが流行っても、もはやクルマの姿を留めないくらいの大胆なスタイルが流行っても、おれはシュトラールだけを育て続けた。いちばん好きでカッコいいと思えるのは、やっぱり、今おれの手の上にあるシュトラールだ。

 ちゃぷちゃぷと、波がコンクリートにぶつかる音。足下の海をのぞき込むと、透明だ。少し薄暗い海底まで見える。魚が泳いでいる。
 海って青いものだと思っていたけれど、今おれの目に映る景色は違う。単なる青一色じゃなくて、真下は透明で、遠くの波は全部、朝日に染まった銀色だ。ぺたりと甘い潮風が髪や肌を撫でていく。

 誰もいない、朝の海。まるで世界じゅうにおれひとりだけみたいだ。
 と、そう思った瞬間だった。ザパッと波の割れる音が聞こえた。
 魚でも跳ねた? いや、違った。音の発生源を見付けたおれと、海から顔を出した人物と、視線が絡んだ。

「ユリト?」
「カ、カイリさ……じゃなくて」

 カイリ、だけでいいんだった。昨日の夕食の席でも「さん」はいらないと言われた。丁寧語も再三、やめていいと言われた。ハルタからもからかわれてしまったし、そろそろ慣れないとカッコ悪い。

「何でユリトがここにいるの? 朝、早いのに」
「ぼくは散歩だけど、きみこそ」
「わたしは、いつもだから」
「いつも? 朝から泳ぐの?」

「朝の海が好きなの。昼も夕方も夜も好きだけど、朝はちょっと特別。海の中の澄んだ闇に、白い光が少しずつ刺さってくる。浄化される気持ちになる」
「この銀色の波、海の中から見たら、そんなふうなんだね」

 立ち泳ぎをしているらしいカイリは、うん、と大きくうなずいて防波堤に寄ってきた。波に洗われてザラザラの階段へと、身軽に体を持ち上げる。
 階段を上がってきたカイリは、昨日と同じようなタンクトップとショートパンツ、スニーカーだ。昨日と大いに違うのは、全身びしょ濡れだということ。

 タンクトップが透けながら肌にくっ付いているのがチラッと目に入る。じっと見つめてしまいそうになったおれは、急いでそっぽを向いて、帽子のつばを深く下ろした。
 カイリは、おれの様子なんか気にもしないふうで、おれの近くに座った。黙っているのも気まずい。でも、変なことを口走りそうで、黙っているよりほかにない。