わたしが高三に上がる時、ちょっと大変な事が起こってしまった。両親の転勤が決まったんだ。行き先は、木場山のすぐ近く。もしもわたしが両親に付いていくとしたら、転校は避けられない。
両親は、特に母は、心配したり悩んだりする様子だった。わたしは迷うことなく決めた。
「転校はしない。下宿して、このまま卒業まで日山高校に通う」
親と離れて暮らすことについて、寂しいとはまったく思わなかった。むしろ、解放される、と気が楽になった。一人暮らしではないにせよ、親に気を遣わなくてよくなる。学校に行けなかった中学のころから、わたしはずっと親との同居がきつかったんだ。
引っ越しの荷物をまとめるので、三月は慌ただしかった。わたしの下宿先を提供してくれた人は、祖母の妹という微妙に遠い親戚だった。それまでに何度か会ったことがあった。
大叔母は、下宿生がいるときにお世話を引き受けたり引き受けなかったり、けっこう自由にやってきた人だ。旦那さんは若くで亡くなって、ちょうど下宿生のいない今は一人暮らしだった。
「あんたがいてもいなくても、あたしゃ好きにやるからね。ごはんは出すけど、顔を合わせない日もあるかもしれないし、洗濯も掃除もあんたがやんなさいね」
あいさつに行ったとき、大叔母からそう言われた。この人は本当に日本人なのかな、というファッションと雰囲気の人だった。
わたしが大叔母の家に引っ越せるのは四月一日。親と住んでいたもとの家を引き払ってから新しいところに移るまで、数日間、わたしは家がなかった。ひとまず両親の新しい家に行って、そして、ふと思い立って旅に出た。
旅といっても大した遠出ではなくて、木場山の中で最も山の深い地区に一泊二日で行ってみただけだ。宿泊先は小さな民宿。
これが素晴らしい体験になった。
わたしは歴史に興味がある。ファンタジー小説の執筆には歴史の勉強が不可欠だ。架空の世界を自分独自に組み立てるとき、「現実世界を構成する要素」というピースをたくさん持ってればいるほど強くて、創る世界に奥行きとリアリティが出せる。
興味があることだから、響告大学の受験のために世界史と日本史の両方が必要なのも、どうにかこなせている。本番の試験で出される問題は「何々について説明せよ」の一言で、解答欄はとても広い。そこをしっかり埋められるだけの知識を暗記していなければならない。
わたしが暗記するこの知識、教科書に書かれたこの知識は、一体どうやって集成されたんだろう?
ぼんやりといだいていた疑問の答えを、わたしは山奥の旅で見付けた。わたしが自分で歴史的知識の収集をやってみたからだ。
その山奥はド田舎だけれど、日本史の研究者の間では有名らしい。古代から続く特殊な信仰が残る場所だからだ。万物に神が宿るという日本古来の信仰は、明治時代、廃仏毀釈の流れの中で何かと歪められ、破壊されてしまった。でも、この山奥には今だ根づいている。
わたしも、うすぼんやりと、そんな感じのことを知ってはいた。小学校の社会科で自分が住む町について調べ学習をしたときに、よくわからないなりに神さまについて模造紙にまとめた記憶がある。
小六と中学高校で繰り返し日本の歴史を勉強して、それなりに知識が身に付いた。その上で再び、あの調べ学習で出会った神さまの痕跡をたどった。
神社や資料館で説明を読んでいると、きまって管理人が出てきて、木場山特有のフレンドリーさで、より詳しい説明を始める。そうやって聞いた生の声、歴史の生き証人による情報が、わたしの知的好奇心を強く強く刺激した。
古い信仰を今に伝える考古遺物。それが出てきた当時の様子をその目で見た人のリアルな証言。祭りの祝詞をすべて覚えている人。祝詞に込められた意味と、豊作や飢饉や迫害の歴史。
教科書に記すには、わたしが知ったことはあまりにも細かい情報だったと思う。こういう細かい情報をできるだけたくさん集めて、全体像を形作っていって、そうやって組み立てたものでようやく教科書を作れるんだと思う。
わたしは暗記が得意だから、歴史系の勉強に苦痛を覚えたことはない。それにしても、ただの暗記と歴史研究はまったく別物なのだと、ワクワクする気持ちとともにその事実を知った。
大学でやりたいことって、これだ。いや、もしも大学生としてちょっとでも生きていられるならば、の話だけれど。
でも、少なくとも進路希望調査で書く内容ができた。まだ教科書になっていない情報の収集、教科書を形作るための歴史研究を、わたしは自分でやってみたい。
楽しい、と感じだ。ミネソタで竜也やケリーやブレットたちと笑い合ったのとは違う類の、楽しいという気持ちが、わたしの胸に起こった。知ることは楽しい。学ぶことは楽しい。勉強でさんざん疲れているはずなのに、わたしは確かにそう感じた。
短い春休みは、そして終わった。わたしは下宿先に引っ越した。それからすぐに竜也からの手紙が、前の住所から下宿へと転送されてきた。わたしは、住所が変わったことと木場山で歴史を学んできたことを、竜也への返事として書いた。
新学期が始まった。学校帰りは相変わらず歩く。英語で、頭の中にいるケリーたちに語りかけながら。
文芸部誌の春号は、新入生への配布分を含めて、ずいぶんたくさん印刷された。わたしは書いたファンタジーは、夜明けの出発の物語。どこか遠くに行ってしまいたいという気持ちを込めて、やけっぱちなところはあるにしても明るいトーンの物語に仕上げた。
尾崎と上田の関係は相変わらずで、恋に恋するひとみも相変わらずだった。雅樹がまた誰かをふったという噂を聞くのも、相変わらずだった。
両親は、特に母は、心配したり悩んだりする様子だった。わたしは迷うことなく決めた。
「転校はしない。下宿して、このまま卒業まで日山高校に通う」
親と離れて暮らすことについて、寂しいとはまったく思わなかった。むしろ、解放される、と気が楽になった。一人暮らしではないにせよ、親に気を遣わなくてよくなる。学校に行けなかった中学のころから、わたしはずっと親との同居がきつかったんだ。
引っ越しの荷物をまとめるので、三月は慌ただしかった。わたしの下宿先を提供してくれた人は、祖母の妹という微妙に遠い親戚だった。それまでに何度か会ったことがあった。
大叔母は、下宿生がいるときにお世話を引き受けたり引き受けなかったり、けっこう自由にやってきた人だ。旦那さんは若くで亡くなって、ちょうど下宿生のいない今は一人暮らしだった。
「あんたがいてもいなくても、あたしゃ好きにやるからね。ごはんは出すけど、顔を合わせない日もあるかもしれないし、洗濯も掃除もあんたがやんなさいね」
あいさつに行ったとき、大叔母からそう言われた。この人は本当に日本人なのかな、というファッションと雰囲気の人だった。
わたしが大叔母の家に引っ越せるのは四月一日。親と住んでいたもとの家を引き払ってから新しいところに移るまで、数日間、わたしは家がなかった。ひとまず両親の新しい家に行って、そして、ふと思い立って旅に出た。
旅といっても大した遠出ではなくて、木場山の中で最も山の深い地区に一泊二日で行ってみただけだ。宿泊先は小さな民宿。
これが素晴らしい体験になった。
わたしは歴史に興味がある。ファンタジー小説の執筆には歴史の勉強が不可欠だ。架空の世界を自分独自に組み立てるとき、「現実世界を構成する要素」というピースをたくさん持ってればいるほど強くて、創る世界に奥行きとリアリティが出せる。
興味があることだから、響告大学の受験のために世界史と日本史の両方が必要なのも、どうにかこなせている。本番の試験で出される問題は「何々について説明せよ」の一言で、解答欄はとても広い。そこをしっかり埋められるだけの知識を暗記していなければならない。
わたしが暗記するこの知識、教科書に書かれたこの知識は、一体どうやって集成されたんだろう?
ぼんやりといだいていた疑問の答えを、わたしは山奥の旅で見付けた。わたしが自分で歴史的知識の収集をやってみたからだ。
その山奥はド田舎だけれど、日本史の研究者の間では有名らしい。古代から続く特殊な信仰が残る場所だからだ。万物に神が宿るという日本古来の信仰は、明治時代、廃仏毀釈の流れの中で何かと歪められ、破壊されてしまった。でも、この山奥には今だ根づいている。
わたしも、うすぼんやりと、そんな感じのことを知ってはいた。小学校の社会科で自分が住む町について調べ学習をしたときに、よくわからないなりに神さまについて模造紙にまとめた記憶がある。
小六と中学高校で繰り返し日本の歴史を勉強して、それなりに知識が身に付いた。その上で再び、あの調べ学習で出会った神さまの痕跡をたどった。
神社や資料館で説明を読んでいると、きまって管理人が出てきて、木場山特有のフレンドリーさで、より詳しい説明を始める。そうやって聞いた生の声、歴史の生き証人による情報が、わたしの知的好奇心を強く強く刺激した。
古い信仰を今に伝える考古遺物。それが出てきた当時の様子をその目で見た人のリアルな証言。祭りの祝詞をすべて覚えている人。祝詞に込められた意味と、豊作や飢饉や迫害の歴史。
教科書に記すには、わたしが知ったことはあまりにも細かい情報だったと思う。こういう細かい情報をできるだけたくさん集めて、全体像を形作っていって、そうやって組み立てたものでようやく教科書を作れるんだと思う。
わたしは暗記が得意だから、歴史系の勉強に苦痛を覚えたことはない。それにしても、ただの暗記と歴史研究はまったく別物なのだと、ワクワクする気持ちとともにその事実を知った。
大学でやりたいことって、これだ。いや、もしも大学生としてちょっとでも生きていられるならば、の話だけれど。
でも、少なくとも進路希望調査で書く内容ができた。まだ教科書になっていない情報の収集、教科書を形作るための歴史研究を、わたしは自分でやってみたい。
楽しい、と感じだ。ミネソタで竜也やケリーやブレットたちと笑い合ったのとは違う類の、楽しいという気持ちが、わたしの胸に起こった。知ることは楽しい。学ぶことは楽しい。勉強でさんざん疲れているはずなのに、わたしは確かにそう感じた。
短い春休みは、そして終わった。わたしは下宿先に引っ越した。それからすぐに竜也からの手紙が、前の住所から下宿へと転送されてきた。わたしは、住所が変わったことと木場山で歴史を学んできたことを、竜也への返事として書いた。
新学期が始まった。学校帰りは相変わらず歩く。英語で、頭の中にいるケリーたちに語りかけながら。
文芸部誌の春号は、新入生への配布分を含めて、ずいぶんたくさん印刷された。わたしは書いたファンタジーは、夜明けの出発の物語。どこか遠くに行ってしまいたいという気持ちを込めて、やけっぱちなところはあるにしても明るいトーンの物語に仕上げた。
尾崎と上田の関係は相変わらずで、恋に恋するひとみも相変わらずだった。雅樹がまた誰かをふったという噂を聞くのも、相変わらずだった。