聖は私の頭を二回叩き、離れていった。
私はそっと聖の背中を眺める。
校門まで行くと、どこに隠れていたのか、天形が出てきた。
聖と天形は少し話すと、天形が先に帰っていった。
聖は振り向き、手を振ってから校門を抜けていった。
私はゆっくりと外に出る。
自分がいかにダメな人間なのかと思うと、ため息をつかずにはいられない。
「ため息ついたら幸せが逃げるって知ってるか?」
校門を通り過ぎ、曲がった瞬間下からそんな声が聞こえてきた。
私は耳を疑う。
きっと空耳だろう、なんて思いながら、恐る恐る下を見る。
「天形……!?なんで、帰ったんじゃ……」
天形は不良座りをして、私を見上げている。
私は地味に後ずさり、立ち上がる天形から距離をとる。
「そのつもりだったんだけど、矢野が今日のうちに話したほうがいいから、隠れて待てって」
聖……!
言ってたこととやってること、真逆……!
聖への怒りはもちろんあるけど、それ以上に今目の前に天形がいることへの動揺のほうが強かった。
「久しぶり」
「ひ、久しぶり……」
私は声を絞り出す。
心臓がずっとうるさい。
酷い緊張と恐怖から、私は天形の顔も見れない。
鼓動が静まらない。
「あの、さ」
天形に声をかけられて、口から心臓が飛び出そうになる。
「な、なに?」
「そんなに緊張されても、困る」
そう言われても、好きな人目の前にして緊張するなってほうが無理。
なんて言い返せるわけもなく。
「……ごめん」
そして会話はなくなり、部活の練習が始まったのか、挨拶だったり、掛け声だったりが聞こえてくる。
沈黙に耐えられなくなってきた私は、その音に耳を傾ける。
「……矢野と別れたって聞いたけど、それって……」
天形は言葉を濁した。
でも、なんとなくその先の言葉がわかってしまった。
天形は、私の気持ちを知っている。
「……矢野みたいないい人はなかなかいないよ」
それなのに、こんなことを言ってくるなんてどういう神経してるの……
「もう二度と、俺から連絡したりしないから、俺のことは忘れてよ」
……え?
待ってよ……
なんで私、天形に忘れてって言われてるの……?
もしかしなくても、天形の話って……これ?
「じゃあ、そういうことだから」
待ってって……
私の、話……
「……待って!」
出てきた声は、自分でも思っていた以上に大きかった。
帰ろうとしていた天形は、驚き振り返っている。
呼び止めたのはいいけど、何を言えばいいのかわからない。
ただ、あのときみたいに一方的に別れを告げられて、忘れてと言われても、同じことの繰り返しで、きっと忘れることができない。
このまま、勝手に終わらせられてたまるか。
「私の話も、聞いて」
話なんてないはずだった。
今、天形に自分の気持ちを伝える勇気だって、まだない。
でも、今告白する必要はない。
とにかく、天形と無関係にならなければいい。
私は軽く深呼吸をする。
「私たち、友達になれない、かな」
この提案をすることすら、私は怖かった。
聖と付き合うことを勧められて、自分のことは忘れてくれって言われたのに、友達になりたいだなんて、頭がおかしいとしか思えない。
それに、友達に戻りたいと別れを告げられて、私たちは友達以下の関係になってしまった。
だから、天形の答えを聞きたくなかった。
どこまでも、何もかもが、今の私には怖くて仕方ない。
強く目を瞑って返事を待つ。
「……わかった。気が向いたら、また連絡する」
その言葉で一気に全身の力が抜けた。
今度は安堵のため息をつく。
「ありがとう。またね」
天形の背中に手を振ることができる、またねと言える喜びを噛み締めながら、一日を終えた。
翌日の土曜日、私と沙奈ちゃん、夏希の三人で遊ぶことになった。
昨日の夜のうちに二人に報告していたら、直接、詳しく話せと言われた。
詳しくも何もと思ったけど、ただ純粋に二人と遊びたかったし、まあいいかということで。
待ち合わせ場所である駅前の噴水に一番に着いた私は、意味もなくスマホを付けては消して、二人を待つ。
時間の確認とかではなかった。
昨日の今日なのに、私は心のどこかで天形から連絡が来ることを期待している。
来るのはあの苛立つメッセージかもしれないと思うと、来てほしくないとも思うけど。
「ひーなーたっ」
ぼーっとしていたら、夏希に後ろから押された。
「おはよう、夏希」
「おはよう。相変わらず反応が薄いなあ、もう」
夏希はつまらなそうに私の首にそっと触れた。
私は夏希から逃げる。
両手を顔近くまで上げている夏希の表情は、なんだか活き活きしているように見える。
「首は苦手なのは変わらないのねえ」
首をガードしながら、夏希と向き合う。
夏希は楽しそうに近寄ってくる。
「……なにしてんの」
そんな私たちの間に、呆れた表情をした沙奈ちゃんがいた。
「おはよ、沙奈。いやね、ひなたって首を触られるのが苦手だから、遊んで暇つぶししようかなと」
この子は隠す気ないのか。
完全に、間違いなく私で遊ぶって言った。
「へぇー?」
私のほうを見てくる沙奈ちゃんの顔は、夏希とほぼ同じだった。
二人がかりはずるい。
「も、目的違わない!?」
今日は私と天形のことについて聞き出すために集まったはずなのに。
どうして私が遊ばれているのか。
「どうせ暗くてややこしい話だし」
「その前に明るく楽しくいっとこうかと」
わからないことはないけど、だからって私で遊ばなくても。
そう思ったけど、やっぱり二対一だと負けて、私は二人に首をくすぐられた。
「……聖の気持ちがよくわかった……」
沙奈ちゃんと夏希、二人揃うと意地悪が倍になる。
嫌というよりも、ただひたすらに疲れる。
「さてと。どこ行く? ファーストフード? ラーメン? ケーキ?」
沙奈ちゃんの提案は恐ろしく偏っていた。
「まだ集まったばっかりなのに、もうそんなガッツリ食べるの?」
夏希は少し引いている。
私も、そんなにお腹に入らない。
「仕方ないなあ。カフェにしてあげるよー」
そして私たちは女子高生に人気だという喫茶店に入った。
それぞれ注文し、飲み物を受け取ると、四人がけのテーブルに場所をとった。
沙奈ちゃんと夏希が並び、私一人が向かい側に座った。
沙奈ちゃんはサンドウィッチを食べ始める。
「それで? 天形とどうなったって?」
そんな沙奈ちゃんを横目に、夏希が怒っているかのような表情をして、聞いてきた。
「……友達」
そう答えると、大きなため息が返ってきた。
予想通りの反応だけど、私はストローを咥えて目をそらす。
「私が追追試受けてる間にそんなことになってたとはねー」
沙奈ちゃんはサンドウィッチを飲み物で流し込みながら言った。
……追追試?
「それって、英単語の……?」
「うん、そう。聞いてよ、松木の奴! 毎回内容変えてくるの! どんだけ答え覚えても無意味! 合格出来るわけないじゃん!?」
当たり前のことを、精一杯主張されてしまった。
同意しかねる。
「沙奈って、実は……ってか、やっぱりバカでしょ」
「ギリギリ合格できた組だからね」
私はその会話を苦笑しながら聞く。
「って、沙奈のことは今いいの。ひなた。天形と友達ってどういうつもり?」
夏希はどこか怒っているようだった。
まあ、無理ないか。
夏希は私と聖をくっつけようとしてたんだし。
「……天形に忘れてほしい、二度と連絡しないって言われたの。嫌だって言ったけど、私には告白する勇気がなかった。だから、無関係になりたくなくて、友達に……」
簡潔ではあるけど、説明をしたけど、夏希は何も言ってこない。
黙ってカップを口に運んでは、何かを考えているようだった。
「……沙奈、紙とペン持ってる?」
しばらくして、夏希は沙奈ちゃんにそう言った。
沙奈ちゃんはサンドウィッチが入っていた紙を丁寧に折っている。
「ないよ、そんなもの。むしろ、なんで私が持ってると思ったの」
「うん、ごめん。聞く人間違えた。ひなたは、ある?」
私はカバンからメモ帳とボールペンを取り出す。
だけど、夏希が何をしようとしているのか、全くわからない。
「ちょっと整理しよう。想像以上にややこしくなってきた」
夏希はそう言うと、遠慮なくメモ帳を五枚取り出した。
一枚目の左上に『月』と書くと、天形と再会と簡単に書いた。
その下に、括弧でお泊まり会とメモをする。
二枚目は『火』。
それだけ書くと、私のほうを見てきた。
「火曜日、何かあった?」
記憶を辿る。
そう言えば、天形から最初にメッセージが来たのはいつだったろう。
そう思って、スマホで確認をする。
「天形からメールが来たのと……聖に冗談ぽく告白された」
夏希は内容に反応せず、私が言ったことをメモした。
三枚目、『水』。
次はスラスラと、聖と付き合う、と書いた。
まあ、知らないわけないか。
四枚目、『木』。
『聖と別れたいと悩む』
……表現の仕方。
夏希に相談したけど、そんな言い方されるとは。
そして最後、『金』。
天形と友達になる。
「そう言えば、聖とは結局どうなったの?」
「えっと、昨日……別れた?のかな」
付き合っていたのか、別れたのか、そもそも恋人同士だったと言ってもいいのかわからなくて、曖昧に言ってしまった。
だけど、夏希は『聖と別れる』としっかり書いた。
こう、感情抜きに出来事だけを見てみると、案外簡単なものだ。
それにしても……
「濃い一週間だね」
私が言うよりも先に、沙奈ちゃんが言ってしまった。
本当、その通りだ。
もう会えない、諦めなきゃいけないと思っていた相手と、再会して一週間でなんとか友達に戻れるとは、思ってもなかった。
「これはあれだね。うちのバカ聖が掻き回してるね」
そう言い切ってしまうのは、なんだか違う気がする。
聖だって、考えがあって行動したはずだし。
「ひなたはこれから、どうするの?」
「……わからない」
天形に告白する、と言えたらどれだけよかっただろう。
好きな人に好きな人がいて、フラれるのがわかっていながら告白するなんて、こんな怖いこと……
「……聖は凄いな」
それは思わずこぼれた言葉だった。
自分でも、こんなこと言うつもりはなかった。
凄い、だなんて私が言うなって話だ。
「ひなたが天形と付き合いたいって言うなら、協力する。でも、真剣じゃないなら、一人で頑張ってもらう」
それは意地悪で言っているわけではないと、すぐにわかった。
夏希は真っ直ぐ私の目を見る。
その鋭い瞳から、私は目がそらせない。
当然、真剣に天形と付き合いたいって思ってる。
友達のままなんて、多分無理だ。
天形に彼女が出来たって言われたとき、素直に祝える自信がない。
でも、今まで口出しせず見守って、と言ってたくせに、こういうときだけ協力してほしいだなんて、都合がよすぎる。
「あー……ごめん。言い方間違えたね。真剣に天形を想っていないなら、天形は諦めて」
私が悩んでいる原因を察してくれたらしく、夏希は言い換えた。
これには、きちんと答えられる。
「真剣だよ。友達でいたいなんて、思ってない」
すると、夏希は優しく微笑みかけてくれた。
まるで、姉に見守られているような気分になる。
「わかった。応援するよ」
「私も、応援はしてるー」
そう言う沙奈ちゃんの手の上には、折り紙のバラが乗っている。