「……何かの冗談ですか……?」

 椅子に座りメガネを念入りに拭いているプロデューサと、その横に立つ来栖さんの前で私は固まっている。プロデューサーはきれいに磨かれたメガネを顔の前で傾けながらチェックすると、両手でそれを装着した。

「これが冗談だとしたら、たちが悪すぎると思わないか?」
「まあ、悪趣味ですよね」

 目の前の二人が、飄々とした表情でそんな会話を繰り広げる。

 ここはBaysideKOKOの局内、プロデューサーのデスク前だ。目の前にはなんだかそわそわと子供のように楽しげに揺れる大の男が2人、その向かいに呆然と立ち尽くす私がいる。

「だって、だってこんなのって……」

 震える手元に視線を落とせば、先ほど渡された分厚い資料。その表紙にでかでかと印字されているのは新しい番組のタイトル。

『ミッドナイトスター』

 その下には、担当パーソナリティの名前が記されている。

「おめでとう。お前の初冠番組だ。ミッドナイトスターを頼んだぞ、DJタピー」

 プロデューサの愉快に笑う声が響いて、私はその場に崩れ落ちた。



 今からおよそ1年ほど前。あの窮地を救ってくれたのは、来栖さんであり、ヒロさんであり、リスナーのみんなであり、たくさんの関係者であり、家族であり──そしてユージさんだった。私はみんなに生かされている。
 あの出来事を機に、私の迷いはすべて吹っ切れた。ラジオという世界で生きていくことの楽しさと恐ろしさ。おもしろさと苦しさ。奥深さと用心深さ。
 ユージさんがここにいてもいなくても、わたしはやっぱりこの世界がだいすきで、パーソナリティとして生きていきたいとそう思えた。
 けれど一方で、いつまで経ってもユージさんは心の中からは消えてくれなかった。そうやってもがく内に無理に消すのはやめようと思えるようになった。忘れようと思えば苦しかった。忘れなきゃと思うと心が痛かった。それならばと、忘れることを諦めた。
時間は経つのに、いつまでもいつまでも、DJユージさんはわたしの支えであり、希望だった。

 来栖さんとは今でも良い関係が続いている。共に同じ業界で頑張る同士として、気楽にリラックスできる友達として。あの告白以来、来栖さんからその話が出たことは一度もない。今更そのことをほじくり返すわけにもいかず、いまも良き理解者として一緒に過ごす時間は多い。あの時はふとした気の迷いだったのかもしれない。

 そんな来栖さんがとうとうディレクターになった。そして、その番組のパーソナリティを私が担当することになったのだ。正真正銘、私達は番組を作る上でのパートナーとなった。
 しかし、それがまさかあの番組だなんて。どうしてプロデューサーがあの番組を今更復活させたのか分からない。何度も聞いてみたが、うるせえなあと片手であしらわれてしまった。来栖さんにも聞いてみたが、彼も本当に何も知らないらしく首を横にふるばかりだった。

 DJユージさんが三年間やりきったミッドナイトスター。私がパーソナリティになりたいという夢を見つけたあの場所。もう二度と戻ることが出来ないと思っていたあの場所を、今度は私たちが作り出す。ユージさんがいなくても、ミッドナイトスターは成り立つのだろうか。リスナーのみんなは、受け入れてくれるのだろうか。
 だけど、そんなことを言っても何も始まらないのも事実だ。やってみなくちゃ分からない。いや、やらなきゃいけない。きちんと精いっぱい、やってやるんだ!