帰り道を歩き出すと、ようやく良一は目が覚めたようだった。夜空を見上げて、歓声を上げた。

「すごいな。星が明るい。明日も晴れるよな。暑くなるんだろうな」
「たぶんね」
「フェリー、揺れなかったらいいね。結羽は船酔いしないほうだっけ?」
「あんまりしないけど、揺れるときは疲れるから、波がないほうがいい」

 本土に戻ったら、すぐに本番だ。行きつけの楽器店主催のオーディション。だから、体調を崩したりなんかしたくない。
 あたしは今年こそ、全国大会まで勝ち上がるんだ。

 動画配信を続けていることと、その動画のクォリティも、評価に加算される。去年よりもギターが上達したってだけじゃなく、あたしはもっと広い意味で、シンガーソングライターとしての力を付けてきた。

 負けない。自分にできる最高のパフォーマンスで、会場を沸かせたい。
 唄は、誰かに届いて初めて、唄として産声を上げるんだと思う。あたしは、あたしの唄と共鳴する誰かに受け取ってもらうために、歌いたいと願っている。

 オーディションのことを考えながら夜道に足を進めていたら、良一が眼鏡越しの視線をあたしに投げた。
「結羽、オーディションの全国大会、東京だろ? 日程はいつ?」
「聴きに来るの?」

「今なら、スケジュールの調整が利くはずだから。結羽が来る可能性が高いんだし、その時期は、ちゃんと空けとくよ」
「……九月の第二土曜」
「わかった。会えるの、楽しみにしとく」
「それはどうも」

 良一は前を向いて、ひとり言みたいに付け加えた。
「デカいステージで歌う結羽を見たら、おれ、また結羽に惚れ直すんだろうな」
「バカ」
「うん、バカだと思う。ボロクソに言われっぱなしなのに、結羽と話すことが嬉しい。恋をすると、バカになるのかもしれないな。何か、すげー幸せだよ、今」

 良一は、クスクス楽しそうに笑って、あたしの手を握った。あたしは握り返さなかった。振り払うこともしなかった。楽しいとも幸せだとも感じなかったけれど、怒りもいらだちも起こらなかった。