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 あたしたちが過ごした教室が、そこにあった。学年を示す札や机や椅子がなくなっても、あたしたちの教室だってわかる。だって、黒板に向かって後ろのほうの床がつやつやしている。埃をかぶっていてさえ、ほかの部分とは色つやが違う。

 良一が靴の底で床をこすった。
「休み時間のたびに、ここで座り込んだり寝転んだり、和弘とプロレスごっこしたりしてたもんな。気付いたら、床が見事に磨かれてた」

 明日実がころころと笑う。
「そのぶん、うちらの服が汚れまくっちょったっちゃろうけど、全然、気にせんやったよね」

 後ろの壁に備え付けられた、ランドセル用の棚。ベランダ側の窓の下には、ずらりと、荷物を引っ掛けるためのフックの列が遺されている。廊下側の窓のそばに長机があって、その上にいつかの誰かが作った本立てがあって、それが学級文庫だった。

 四人で占領していた教室。先生はガキ大将みたいな人だった。今は本土の大きな小学校に赴任して、責任の重い仕事を抱えて、てんてこ舞いらしい。両親がそういう話をするのを聞いた。

 一つ年下の和弘が一緒のクラス編成は、複式学級と呼ばれるものだ。担任の先生にとっては難しい体制だと思う。二学年ぶんの授業内容をきちんと把握しないといけない。子どもと一対一の場面が多いから、相性の良し悪しにごまかしが利かない。

 あたしたちは本当に平和だった。先生とも仲がよかった。先生は、みんな積極的に学ぶ子だから助かる、と言ってくれていたけれど。
 でも、実際、そうだったかもしれないな。先生を含めた五人で協力して、特殊な形の授業を進めていくことは、何だかゲームでもやっているみたいに楽しかった。自由だったなと、今にして思う。

 一人だけ学年の違う和弘は、算数が遅れ気味だった。あたしはいつもさっさと自分のプリントを片付けて、和弘を教える役に回った。あるいは、先生が和弘を教えているときは、良一や明日実からの質問に答えていた。

 算数が苦手な一方、和弘は国語や社会が得意だったから、自分の課題を素早く終わらせると、あたしたちの授業内容にまで首を突っ込んできていた。岡浦小に通った六年生のころは、国語や社会でいい成績を取れたんじゃないかな。