あたしは手紙と写真を封筒の中にしまって、部屋を出て台所に向かった。もうすぐ夕食だ。母がパタパタとスリッパの音を立てて、ごはんの準備をしている。母があたしに「手伝って」と言わなくなって、二年半。あたしが壊れてから、二年半。

 わざと足音を鳴らして台所に入ったから、母はあたしに気が付いた。母が口を開く前に、封筒ごと、手紙をテーブルに置く。

「八月一日、小学校、取り壊しだって。行ってくるから」
「そう。みんなで集まると? 同じクラスやった子たち」

 みんなって言い方は、たぶんちょっとおかしい。あたしたちは、たった四人だった。四十人が授業を受けられる教室に、四人だけ。あたしたちの関係を示す言葉は、友達もクラスメイトもしっくりこなくて、だから、仲間って呼び合っていた。
 あたしは母の質問に答えた。

「詳しいことはわかんないけど、行く」
「一人で?」
「だって、仕事でしょ」

 おかあさんも、おとうさんも。そう付け加えるべきなんだろうけれど。日本語の文法的には。
 あたしは人の名前を声に出して呼べない。おとうさん、おかあさんというのも、呼べなくなってしまった。照れくさいとか、そういうんじゃない。呼び掛けると、距離が近すぎて、息が苦しくなる。人の気配がそばにあるのが、本当にダメなんだ。

 母は丁寧にタオルで手を拭いて、封筒から手紙を取り出した。写真を見て、目を細める。あたしたち家族は、あの学校のすぐそばに住んでいたから、校庭から見上げる校舎のアングルは、とてもなつかしい。
 微笑んだままの母がこっちを向く瞬間、あたしはうつむいた。前髪の黒いカーテン越しに、母の視線を感じる。

「泊まる場所や船便のこと、確認せんばいけんね。どうするか、決めとると?」
「決めてない」
「一人で行くとなら、安心できる人のところに泊めてもらわんばね」
「わかってる。後でまた考える」
 あたしは、きびすを返した。

「もうすぐごはんよ」
「わかってる」
「今日も、夜、歌いに行くと?」
「行くけど」
「どこに? いつもの、交番のところの公園?」
「そこ以外、行く場所ない」
 ため息の気配。そして、ものわかりのいい、優しい声音。
「行き帰りの道は気を付けて」

 何度も何度も何度も、両親はあたしを叱って、引き止めて、なだめて、そしてとうとうあきらめた。学校や警察まで巻き込んで、あたしだけの特別なルールまで作らせた。その公園で、日付の変わる前だったら、真っ暗になってもギターを弾いていいって。

 まじめで立派な人だ。父も母も。その人たちの血を引いて、その人たちに育てられたのに、あたしだけが規格外。心も体も壊れている。あたしはきっと、この家にいちゃいけないんだと、毎日、毎晩、感じている。

 家を出たい。遠くに行きたい。一人で暮らしたい。お金を稼いで、自力で生きていけるように、早くなりたい。