買い物の後は、まっすぐ岡浦に戻った。里穂さんは、観光に連れていけるよと言ったけれど、あたしは断った。良一も特にリクエストがなかった。結局、新譜を聴きながら家に帰って、里穂さんのカレー作りを手伝った。

 夕方五時。
 時計を見るまでもなく、その瞬間、あたしは夕方五時だとわかった。各家庭の玄関や数百メートルおきの電柱に取り付けられた防災無線のスピーカーが、雑音混じりの「夕やけこやけ」を流したんだ。

「ああ……!」
 あたしと良一は、同時に、言葉にならない声を漏らした。

 なつかしい。なつかしすぎて痛い。胸がギュッと絞り上げられた。
 丸っこい電子音で奏でられる「夕やけこやけ」。これが鳴る時刻でもまだ、日本列島の西の最果てにあるこの場所では、日は沈まない。冬場でもだ。だけど、「夕やけこやけ」が鳴ったら家に帰るのがルールだった。

 家に帰ったら、洗濯物を取り込んでたたんで、流しに漬けてある食器を洗って、お風呂掃除をする。そうこうするうちに、母が船に乗って、仕事から帰ってくる。バタバタと慌ただしげな母を手伝って、晩ごはんの支度をする。

 小近島での夕方は、そんなふうだった。そうやって力を合わせなければ、何かと不便な島の暮らしは成り立たなかった。あれが当たり前だった。今となっては信じられないけれど。本当に。

 防災無線の「夕やけこやけ」からほどなくして、夏井先生が帰宅した。晩ごはんは、普段よりも早い時間帯だった。
 食べ終わるころ、母から電話が掛かってきた。お世話になりますの挨拶はしたのかとか、おみやげは渡してくれたのかとか、ちょっとうるさい。そのへんの常識は、あたしだってわきまえている。

 あたしはすぐにスマホを夏井先生に渡した。夏井先生から里穂さんにバトンタッチして、ついでに良一にも代わって、もう一度、里穂さんがスマホを手にして、しばらく話し込んだ。
 ずいぶん経ってから戻ってきたスマホは、体温が移ってぬるくなっていた。あたしはさっさと電話を切った。

 それから、空っぽになったカレーのお皿越しに、いくつかの会話が交わされた。晩ごはんの片づけを手伝って、明日の予定を確認した。
 明日は、真節小の取り壊しが始まる日。真節小とサヨナラをする日だ。
 そして、シャワーを浴びたら、案外あっさりと、一日が終わってしまった。