和弘があたしを見た。泣きそうな目をしているけれど、涙をこぼしてはいない。あたしに一歩、近付いて、がやがやした港の人出の中、ギリギリ聞こえるくらいの声で、和弘はあたしに告げた。

「結羽ちゃん、彼氏おらんとでしょ。たまに連絡してよ。おれ、連絡するけん、返信して。お願い」
 あたしはとっさに、しょうもない返事をしてしまった。
「何で?」

 和弘は律儀に答えた。
「だって、おれの気持ち、まだ全然、続いちょっけん」
「……何で?」
「昨日も言ったやろ。結羽ちゃんは小近島から離れていったけど、でも、遠くにおるようには思えんけん。会えんでも、つながっちょるよなって感じられる。忘れ切らんよ」
「でも、あたしは……」

 明日実がいきなり、あたしに抱き付いてきた。ふわっとして、柔らかい。汗と制汗スプレーの匂いがする。
 あたしの肩に顔を寄せた明日実は、ふぇーっと、情けない声でちょっと泣いた。ぐすぐすしながら顔を上げて、どうにか微笑む。

「応援しちょっけんね! 結羽の歌、小近島まで届けて! 結羽も良ちゃんも、地元の期待の星やけんね!」
「地元って? あたしには、地元とか、ないよ。あっちこっちの島に住んでたせいで、どこが出身地って言えない」

 明日実は声を立てて笑った。
「それ、カッコよか! 結羽にとって、全部の島が地元やん。旅人やね。いつでもどこにでも、遊びにも行けるし、帰ることもできるってことやろ。結羽のことば地元の星って呼んで応援しちょっ人が、あっちの島にもこっちの島にもおるとでしょ」

「あ……」
 つかえが取れたような気がした。
 全部だったのか。旅人のあたしにとって、島々の全部がふるさとだったのか。

 そんなふうに言い換えたところで、どの島にも溶け込めなかった事実は変わらない。どの島にも家がないことに違いはない。
 でも、心の中で何かが変わった。何かが、ふっと軽くなった。古いかさぶたがはがれて落ちるように、ずっと胸にこびり付いていた悲しみが、不意に離れていった。

 あたしはきっと、この島々のどこを旅しても、「いらっしゃい」じゃなくて「おかえり」と言ってもらえる。その場所にあたしの家が存在しなくても、そこに住んだ記憶は存在しているから。
 旅人で、いいじゃないか。旅人だから、たくさん出会えたじゃないか。旅人である両親のおかげで、良一にも明日実にも和弘にも、夏井先生にも里穂さんにも、真節小にも、真節小の最後のときにも、出会うことができたんだ。

 あたしは明日実をギュッと抱きしめた。
「頑張ってくる。期待、裏切らないように、頑張る」
 明日実の体を離す。近い場所で笑い合った瞬間、両目がぶわっと熱くなって、熱が涙になって、目尻から流れ落ちた。

 あたし、泣いてる。

 鼻と喉がつながるあたりがゴツゴツして、息が苦しくなった。涙って、熱いんだ。こんなにも胸の中を掻き乱して、叫びたいくらいの感情を連れてくるものなんだ。

 あたしは下を向いて、急いで涙を拭った。
 待合所の館内放送が、乗船改札の案内を繰り返している。そろそろ行かないといけない。あたしはギターケースをベンチから拾い上げた。

 明日実が良一にパンチを繰り出した。
「頑張らんばよ、良ちゃん! ボーっとしちょったら、和弘に負けるよ。中途半端な男には、あたしの結羽は渡さんけんね!」

 えっ、と、良一と和弘が同時に目を見張った。あたしは明日実のほっぺたをつねった。
「勝手なこと言うな。バカが調子に乗る」
「きゃー、結羽、痛かよー!」
 悲鳴を上げながら、明日実が笑う。