数十メートルも飛ばされたのに命があったのは、子犬が助けたてくれたから。という嘘みたいな……嘘のような話が結末だったとは……。

本当に不思議の国の住人になってしまったと呆然とした。

《それも神様からのギフトだと思ったら? 視力回復おめでとう、って言ってると思って》

ギフト=プレゼント。いや違う、角膜を譲り受けたと同時に、何らかの力も譲り受けてしまったのだ。これは試練だ。きっと私は試されているのだ。

〝誰が〟とか〝何のために〟とかいう、ややこしことは無視して、そう思うことにして諦めの境地で現実を受け入れた。

しかし、そうなると今度はシオに対して、『わたしのせいで死なせてしまった』という罪悪感を覚えるようになった。

成仏できないのは私のせいかもしれない。そう思った途端、責任を感じ、何としてでもあの世とやらに逝ってもらわなければと思うようになった。

でも、お供え物をしたり、お祓いをしてもらったり、いろいろやってみたがどれも失敗。ダメだった。

もしかしたら、私を呪い殺さない限り成仏できないのではないか?
そう思って訊ねたら、《まだその時じゃないんだ》と妙な答えが返ってきた。

シオの言う『その時』がいつかは知らないが、それ以来、ずっと付き纏われている。

鬱陶(うっとお)しいがシオに関してだけ言えば、諦めた。まだいい。
それはシオが命の恩犬だからでもあるが、一番はグロテスクじゃないからだ。