「そういう記事はどうしても出てきます。まぁ、下手に反応すると逆効果になるから、相手にしない方がいですよ」

 腹は立ったが、仮に私が第三者の立場だったとしても、気にも止めないくらいの支離滅裂な記事だったし、警察官の助言に従い、安穏と構えることにした。

 しかし考えが甘かった。

 そんな記事を書く雑誌社があり、その雑誌社が存続しているということは、どんな突拍子もない記事でも鵜呑みにしたり狂喜乱舞したりする輩《やから》がある一定数存在しているということだ。

 そしてその一定数は、私や母が思うよりもずっとずっと多いことを知るのに、大して時間は要しなかった。

 その時、私たちは賃貸マンションに住んでいたが、廊下で誰かの姿をほとんど見かけなくなった。たまに見かけてもこちらの姿を認識した途端に逃げるように部屋に入っていくようになった。

 近所を歩けば遠巻きに見られ、実際の立ち位置の距離よりも心の距離の方が何倍も空いてしまってことを、彼らの態度から痛感した。