有り体に言えば、余所者《よそもの》に対する警戒の眼差しだ。何一つ後ろめたいことをしていないはずなのに、逃げ出したくなるような居心地の悪さに閉口したものだ。

 それからは地元住民しか歩かないような道は避けることにしている。
 
 私は徒歩を保留にし、私はバスロータリーに向かった。

 複数あるバス停から漁港に向かう路線を探す。

 あった。ズバリ宮内漁港行きが。

 今一度スマホの画面を凝視し、時刻表と現在時刻を見比べる。バスは15分ほど前に出発してしまい、次のバスは今から約50分後だ。

 それを待ってでも尚、バスの方が早く漁港に着けるだろうとそろばんを弾いたものの、見渡す限り、駅前で時間を潰せそうな場所は見当たらない。カフェやマンガ喫茶どころかコンビニもないのだ。
 
 ボーッとしている時に周囲から向けられる怪訝な視線もまた、居心地が悪いことは骨身にしみている。

 私は南にかじを取り歩き出した。三分ほど歩くと大きな通りに出た。いや、大きいといっても周辺道路と比べての話だ。片側一車線。とはいえ路側帯も付き、さらには歩道まで設《しつらえて》ある。 

 地図アプリを立ち上げ直し、場所を確認する。間違いない。この道だ。

 数分の距離であれば地図アプリを起動したままで移動するが、一時間以上もかかるのであれば要所要所以外はアプリは落としておく。都会ならいざ知らず、意外とスマホの充電ができる場所を探すのは困難なのだと、この逃避行で知った。