「ただ優しく名前を呼んであげただけなのに、顔を真っ赤にして目を逸しちゃうなんて、お子ちゃまも良いところよ」

テトはわざとらしくため息をつきながら、勝利宣言のように言った。

「な、なんだと!」  

僕の抗議はテトには届かない。テトは、まるで何もかも見透かしたように軽やかな動作僕に背を向けると、尻尾をゆらゆらと揺らしながら、悠然とした足取りで遠ざかって行く。その歩き方は、どこか優雅で憎たらしい。

「お、おい! 待てよ、テト!」  

僕は急いで再び小さい狼の姿に戻り、慌ててテトの後を追った。

テトの言う通り、僕はお子ちゃまかもしれない。

でも誰だってあんな優しい、甘い声で名前を呼ばれたらびっくりするし、体だって熱くなるに決まっている。彼女の不意打ちは、いつも効果抜群だ。

「ああ……くそ」  

このままやられっぱなしは癪に障る。

きっといつか僕だって、テトの事をドキッとさせて見せるさ!  

そんな密かな熱い誓いを胸に抱きながら、僕は最後に夜空に浮かぶ、静かな月を強く見上げたのだった。


☆ ☆ ☆


「……」  

私は先生と別れ、森の中を急いで村に向かって歩いていた。

賑やかな宴が行われている中で、私はすぐに先生の姿がないことに気づいた。先生はきっと一人になれる静かな場所を探したのだろうと当たりをつけ、彼の行きそうな場所を巡ってその姿を探した。

そしてついさっき、村から少し離れた岬の先端で、一人座りながら月明かりに照らされる穏やかな海を眺めている先生の後ろ姿を見つけた。

先生を見つけられて安堵した瞬間、これからのことについて話を聞こうと一歩踏み出そうとした時だった。

静かな夜の闇に、先生の掠れたようなしかし切実な声が響いた。

「お前に会いたい……よ。オフィーリア」

「っ!」  

その言葉に、私の心臓は大きく跳ねた。

オフィーリア――

まさかその名前の人が、先生がいつも口にしていた『彼女』と言う人なのだろうか?

そう思った時、私は衝動的に先生に声を掛けていた。

先生は私の声にビクッと肩を上げ、慌てたように目元を拭うと、何もなかったようにこちらを振り返った。しかし、その瞳の奥には、拭いきれない悲しみの色が残っていた。

そんな先生の姿に、私は胸が締め付けられた。

だから、私は知りたかった。

先生の言う『彼女』とは、どんな人だったのか。

そしてなぜ、先生は彼女のために、あんなにも必死に頑張っているのか。先生にとって彼女という人は、一体どんな存在だったのか、と。

そして、私は先生からオフィーリア様について聞かされた。