「誰にだってそんなもの、人に見せたいと思うものではありませんわ」
澄んだ、しかし力強い女性の声が、張り詰めた室内の重い空気を切り裂いた。
俺たちは部屋の中で静まり返り、一斉に部屋の入口へと視線を送った。そこには、俺たちを心配そうに見つめるレーツェルさんと、その傍らで複雑な表情を浮かべるアルさんが立っていた。
レーツェルさんは、穏やかで優しい微笑みを湛えながら、俺たちの前まで静かに歩み寄ってきた。その視線は、俺の怒りでもカレンの罪悪感でもなく、ソフィアの隠したかった心を見通しているかのようだった。
そして彼女は何の躊躇いもなく、自身の右腕を少し上げると、左手を使って着ている服の右袖を肘の上まで、ゆっくりと丁寧に捲り上げた。
「っ!」
俺たちは、見せられたその腕に目を見張って思わず息を呑む。
そこにあったのは、何か硬いもので叩きつけられた、無数のくっきりと残る傷跡だった。それは皮膚の色が変わるほど深く、何十箇所にも及ぶ、痛々しい歴史を物語っていた。
その傷の具合は、時間と共に薄れることはあっても、決して完全に消えることはないのだと、本能的に悟った。痛々しすぎて、見ているのが辛くなってきて、俺は思わず視線を逸らそうとしてしまった。
その時、静かに怒りを滲ませた顔を浮かべたアルさんが、素早く動いた。彼は、強い口調でレーツェルさんを制し、すぐに彼女の腕を包むように掴んで袖で隠した。
「レーツェル! お前何を!」
アルさんの声には、心配と憤慨が混じっていた。
「良いのです。アムール様」
レーツェルさんは、優しくアルさんを見上げた。
「……しかし」
アルさんは納得がいかない様子で立ち尽くしたが、レーツェルさんが頭を横に振るのを見ると、とても複雑な悲しみが混じった表情を浮かべ、彼女の体をそっと抱きしめた。まるで、これ以上の傷を負わせまいと守るかのように。
抱擁の中で、レーツェルさんは淡々とした口調で語り始めた。
「……私は聖国で聖女として、幼い頃から教育されて育ちました」
「えっ……聖国? ……聖女?」
その意外すぎる言葉に、俺たちは思わず声を上げる。レーツェルさんの優雅な立ち振る舞いは聖女という言葉と矛盾しないが、聖国の存在はあまりにも遠い。
「聖女として神の声を聞き、その声を民たちに伝える事が私の役目でした。しかし……それは私が人形だったから」
「人形」というあまりにも悲しい言葉に、俺たちは首を傾げた。
そんな俺たちの困惑した姿を見たレーツェルさんは、顔を下に伏せた。
「私は……人形だったんです。聖女という名の人形。小さい頃から聖女として教育されてきても、間違った事をすれば体を鞭で何度も何度も叩かれました」
「っ!」
鞭――じゃあ、あの腕の傷は……!
「腕以外にも私の体には、この鞭で叩かれた後が残っているんです」
「レーツェル。それ以上は……」
アルさんは、今にも泣きそうな顔でレーツェルさんの口元を覆った。彼女の更なる告白から守るように。そんな彼に、レーツェルさんは小さく頷いて見せた。
「誰だってこんなもの、見られたくないと思うものです。見られてしまったら、きっと同情されてしまって、悲しい目で見られてしまう。きっとソフィアさんは、それが嫌だったんですね」
レーツェルさんの痛切な言葉は、ソフィアの隠したかった理由を寸分違わず代弁していた。その言葉に、カレンはゆっくりと重々しく頷いた。
そんなカレンを見た俺は、無意識に拳に力を込めた。
そうだ。
確かにレーツェルさんにそう言われなかったら、俺はソフィアの体に残った魔法陣を見て、同情や憐憫を込めた悲しい目で見たかもしれない。
……いや、その前に、なぜ隠したのかという怒りのこもった目でソフィアを見ていたかもしれない。
彼女の屈辱よりも、自分の知らなかったことに腹を立てていた。その事実に、俺は自分自身に腹が立って、強く自分を怒鳴りつけているような気分になった。
そして、俺は自分の力の無さに心底から腹を立てただろう。
ソフィアは、俺が絶対にそうなると知っていたから、魔法陣の事を言わなかったんだ。
俺に……自分のせいだと思ってほしくなくて。
「でも、ご安心下さい」
「えっ?」
アルさんの腕からそっと離れたレーツェルさんは、優しく俺の手を取って告げた。
「ソフィアさんの魔法陣は、ブラッドが私の力を使って綺麗に消しました」
「……ブラッドさんが?」
「はい。彼女の体に熱がこもっているのは、共振の魔力が元の流れを取り戻しつつあるからですのよ。ですからきっと、直ぐに目を覚ますと思います」
その言葉を耳にした瞬間、俺の感情は決壊した。
熱い涙が溢れ出して、とめどなく頬を伝った。涙は何度拭ってもボロボロと頬を伝っていき、俺はその場に立っていることができず膝から崩れ落ちた。
「……っ!」
嬉しい、悔しい、感謝など、様々な感情が渦を巻いて、俺は嗚咽を押し殺して泣いた。
これでようやく……ソフィアは開放されたんだ。
あの辛い状況から……ようやく。
そう思ったら、涙は止まらなかった。泣かずには居られなかった。ブラッドさんのおかげで、ソフィアは救われた。そして同時に、何もできなかった自分自身も、この重い罪悪感から救われた気がしたからだ。
俺が肩を震わせながら泣き続ける間、レーツェルさんは優しくそっと、俺の背中をゆっくりとさすってくれていた。
澄んだ、しかし力強い女性の声が、張り詰めた室内の重い空気を切り裂いた。
俺たちは部屋の中で静まり返り、一斉に部屋の入口へと視線を送った。そこには、俺たちを心配そうに見つめるレーツェルさんと、その傍らで複雑な表情を浮かべるアルさんが立っていた。
レーツェルさんは、穏やかで優しい微笑みを湛えながら、俺たちの前まで静かに歩み寄ってきた。その視線は、俺の怒りでもカレンの罪悪感でもなく、ソフィアの隠したかった心を見通しているかのようだった。
そして彼女は何の躊躇いもなく、自身の右腕を少し上げると、左手を使って着ている服の右袖を肘の上まで、ゆっくりと丁寧に捲り上げた。
「っ!」
俺たちは、見せられたその腕に目を見張って思わず息を呑む。
そこにあったのは、何か硬いもので叩きつけられた、無数のくっきりと残る傷跡だった。それは皮膚の色が変わるほど深く、何十箇所にも及ぶ、痛々しい歴史を物語っていた。
その傷の具合は、時間と共に薄れることはあっても、決して完全に消えることはないのだと、本能的に悟った。痛々しすぎて、見ているのが辛くなってきて、俺は思わず視線を逸らそうとしてしまった。
その時、静かに怒りを滲ませた顔を浮かべたアルさんが、素早く動いた。彼は、強い口調でレーツェルさんを制し、すぐに彼女の腕を包むように掴んで袖で隠した。
「レーツェル! お前何を!」
アルさんの声には、心配と憤慨が混じっていた。
「良いのです。アムール様」
レーツェルさんは、優しくアルさんを見上げた。
「……しかし」
アルさんは納得がいかない様子で立ち尽くしたが、レーツェルさんが頭を横に振るのを見ると、とても複雑な悲しみが混じった表情を浮かべ、彼女の体をそっと抱きしめた。まるで、これ以上の傷を負わせまいと守るかのように。
抱擁の中で、レーツェルさんは淡々とした口調で語り始めた。
「……私は聖国で聖女として、幼い頃から教育されて育ちました」
「えっ……聖国? ……聖女?」
その意外すぎる言葉に、俺たちは思わず声を上げる。レーツェルさんの優雅な立ち振る舞いは聖女という言葉と矛盾しないが、聖国の存在はあまりにも遠い。
「聖女として神の声を聞き、その声を民たちに伝える事が私の役目でした。しかし……それは私が人形だったから」
「人形」というあまりにも悲しい言葉に、俺たちは首を傾げた。
そんな俺たちの困惑した姿を見たレーツェルさんは、顔を下に伏せた。
「私は……人形だったんです。聖女という名の人形。小さい頃から聖女として教育されてきても、間違った事をすれば体を鞭で何度も何度も叩かれました」
「っ!」
鞭――じゃあ、あの腕の傷は……!
「腕以外にも私の体には、この鞭で叩かれた後が残っているんです」
「レーツェル。それ以上は……」
アルさんは、今にも泣きそうな顔でレーツェルさんの口元を覆った。彼女の更なる告白から守るように。そんな彼に、レーツェルさんは小さく頷いて見せた。
「誰だってこんなもの、見られたくないと思うものです。見られてしまったら、きっと同情されてしまって、悲しい目で見られてしまう。きっとソフィアさんは、それが嫌だったんですね」
レーツェルさんの痛切な言葉は、ソフィアの隠したかった理由を寸分違わず代弁していた。その言葉に、カレンはゆっくりと重々しく頷いた。
そんなカレンを見た俺は、無意識に拳に力を込めた。
そうだ。
確かにレーツェルさんにそう言われなかったら、俺はソフィアの体に残った魔法陣を見て、同情や憐憫を込めた悲しい目で見たかもしれない。
……いや、その前に、なぜ隠したのかという怒りのこもった目でソフィアを見ていたかもしれない。
彼女の屈辱よりも、自分の知らなかったことに腹を立てていた。その事実に、俺は自分自身に腹が立って、強く自分を怒鳴りつけているような気分になった。
そして、俺は自分の力の無さに心底から腹を立てただろう。
ソフィアは、俺が絶対にそうなると知っていたから、魔法陣の事を言わなかったんだ。
俺に……自分のせいだと思ってほしくなくて。
「でも、ご安心下さい」
「えっ?」
アルさんの腕からそっと離れたレーツェルさんは、優しく俺の手を取って告げた。
「ソフィアさんの魔法陣は、ブラッドが私の力を使って綺麗に消しました」
「……ブラッドさんが?」
「はい。彼女の体に熱がこもっているのは、共振の魔力が元の流れを取り戻しつつあるからですのよ。ですからきっと、直ぐに目を覚ますと思います」
その言葉を耳にした瞬間、俺の感情は決壊した。
熱い涙が溢れ出して、とめどなく頬を伝った。涙は何度拭ってもボロボロと頬を伝っていき、俺はその場に立っていることができず膝から崩れ落ちた。
「……っ!」
嬉しい、悔しい、感謝など、様々な感情が渦を巻いて、俺は嗚咽を押し殺して泣いた。
これでようやく……ソフィアは開放されたんだ。
あの辛い状況から……ようやく。
そう思ったら、涙は止まらなかった。泣かずには居られなかった。ブラッドさんのおかげで、ソフィアは救われた。そして同時に、何もできなかった自分自身も、この重い罪悪感から救われた気がしたからだ。
俺が肩を震わせながら泣き続ける間、レーツェルさんは優しくそっと、俺の背中をゆっくりとさすってくれていた。


