『元々、月の精霊は初代狼人族の長が受けていた特別な加護であり、その力はとても温かく、生命の根源に深く結びついています。この力は、黒い粒子のような異質な侵食であっても、体内でその進行を食い止めてしまう程の、強大な浄化と守護の力を持っているんです』
レーツェルさんの声は、まるで耳元で囁かれているかのように鮮明でその優しさに満ちていた。
「そうなんだ。レーツェルさんは精霊について詳しいんですか?」
『はい! 精霊のことなら、私に任せてください!』
か、可愛い……。いや、そんなこと思ったら、今、ブラッドさんの右手の中で静かにしているアルさんに、確実に命を灰にされる。
俺は頭を振って雑念を振り払いながら、再びヨルンへと目を戻した。
黒い粒子たちが全て浄化され、その力が完全に失われたことによって、ヨルンはまるで糸が切れた人形のように意気消沈し、地面に座り込んでしまっていた。
するとブラッドさんは、右手の魔剣アムールを鞘へと戻し、左手に持った魔剣レーツェルを構え直して、ヨルンの側へと静かに歩み寄った。
「……ブラッドさん、何をするんですか?」
俺の質問に、エクレールさんは言葉を詰まらせ沈黙した。
その様子に首を傾げた、その次の瞬間だった。
ブラッドさんは、魔剣レーツェルの切先をヨルンに向けたまま、一瞬の躊躇いもなく、ヨルンの体を袈裟懸けに斬り捨てた。
「なっ!」
その光景に俺たちは全員、驚愕に目を見開いた。
ヨルンを斬り捨てたブラッドさんは、血を拭う仕草すら見せず、そのまま何も言うことなく、レーツェルさんを左手の鞘へと静かに戻した。
しかしその行動は、俺の持つ正義感と倫理観を激しく揺さぶった。
「ブラッドさん! 何をやってるんですか! 事情があるとはいえ、もう戦意を失った相手を、何も殺すことなんてないじゃないですか!」
俺の叫びに反応したブラッドさんは、数秒、深く沈黙した。やがて、彼は肩をすくめるように笑顔を浮かべながら、ゆっくりとこちらを振り返った。
「違う違う、アレス。落ち着け。俺が斬ったのは、ヨルンじゃない」
「……えっ? じゃあ、何を斬って?!」
そのとき、地面に崩れ落ちたヨルンの体から、真っ黒で粘質な霧が、一筋の影となって俺たちの頭上へと立ち昇った。
「ああああ……あああ……ああ……」
その黒い霧は、まるで強い苦痛に耐えているかのようなうめき声を上げながら、空中で形を崩し、やがて白い灰となって霧散し、消えていった。
「……おい、今の、一体何だったんだ!?」
ロキが震える声で尋ねた。
「わ、分からない……」
黒い霧が完全に消えたことを確認したブラッドさんは、顔の力を抜き、深々と溜め息を吐いた。
「はあああ〜……よし、これで終わった〜!」
「えっ?」
そう言ってブラッドさんは、大きく背筋を伸ばし、疲れ切ったように身体を弛緩させた。
「よし、これで暫くは休める。いや〜、つっかれた」
ブラッドさんはブンブンと右腕を回しながら、俺たちの方へと歩いて来る。その態度は、まるで激しい労働を終えた後のようだった。
しかし、俺は彼の背後で倒れているヨルンの存在が気になって仕方がなかった。
「あ、あの、ブラッドさん。ヨルンのことは、どうするんですか?」
「あ〜、良いの良いの。放っておけ」
「えっ?」
ブラッドさんは回していた腕を下ろすと、冷めた感情の読めない目でヨルンの方を一瞥して言った。
「もうあいつは消えるしかないから」
「……は?」
その言葉に、俺たちは息を呑み目を見張った。
「さっき消えた黒い霧は、暴食の悪魔の粒子だ。その粒子がヨルンの肉体を乗っ取って、色々と悪さを働いていたってわけ」
「じゃあ、ヨルンの体は……」
「悪魔の粒子に魔力を全て喰われた挙句、魔力の核となる雫までも喰われてしまったんだ。マナの毒によって死ぬか、それとも粒子が抜けた反動で存在そのものが崩壊するか、どっちにしろあいつには、死ぬ以外の選択肢がもう残されていない」
「そんな……」
じゃあ、ヨルンは好きでこんな事をしたわけじゃないのか。暴食の悪魔によって操られ、したくもないことを強いられて――俺の心に、わずかな同情の念が芽生え始めた。
「言っておくけど、あいつに同情するなよ」
ブラッドさんは、俺の思考を読み取ったかのように冷たく言い放った。
「あいつが言っていた『精霊を食わせたらどうなるんだろう』とか、人の命を実験台にした発言は全て本心だ。それを自分に変わって悪魔が言っていたに過ぎない。もし悪魔に体を乗っ取られていなかったとしても、いずれ同じようなことをあいつはしたさ」
ブラッドさんは、まるでゴミを吐き捨てるようにそう言うと来た道を戻り始める。
俺はそんなブラッドさんの冷酷な背中を見つめた。
どうしてあの人は、目の前の人間の死を、そしてその動機を、こんなにも簡単に、断定して突き放すことが出来るんだ?
確かにヨルンのしたことは許されることじゃない。
自分の欲望の為に大勢の人たちを傷つけて、ソフィアの力を悪用しようとした。
でもそれは全部……悪魔のせいで、悪魔の力があったからこそ、実行に移されたことだったのではないだろうか。
レーツェルさんの声は、まるで耳元で囁かれているかのように鮮明でその優しさに満ちていた。
「そうなんだ。レーツェルさんは精霊について詳しいんですか?」
『はい! 精霊のことなら、私に任せてください!』
か、可愛い……。いや、そんなこと思ったら、今、ブラッドさんの右手の中で静かにしているアルさんに、確実に命を灰にされる。
俺は頭を振って雑念を振り払いながら、再びヨルンへと目を戻した。
黒い粒子たちが全て浄化され、その力が完全に失われたことによって、ヨルンはまるで糸が切れた人形のように意気消沈し、地面に座り込んでしまっていた。
するとブラッドさんは、右手の魔剣アムールを鞘へと戻し、左手に持った魔剣レーツェルを構え直して、ヨルンの側へと静かに歩み寄った。
「……ブラッドさん、何をするんですか?」
俺の質問に、エクレールさんは言葉を詰まらせ沈黙した。
その様子に首を傾げた、その次の瞬間だった。
ブラッドさんは、魔剣レーツェルの切先をヨルンに向けたまま、一瞬の躊躇いもなく、ヨルンの体を袈裟懸けに斬り捨てた。
「なっ!」
その光景に俺たちは全員、驚愕に目を見開いた。
ヨルンを斬り捨てたブラッドさんは、血を拭う仕草すら見せず、そのまま何も言うことなく、レーツェルさんを左手の鞘へと静かに戻した。
しかしその行動は、俺の持つ正義感と倫理観を激しく揺さぶった。
「ブラッドさん! 何をやってるんですか! 事情があるとはいえ、もう戦意を失った相手を、何も殺すことなんてないじゃないですか!」
俺の叫びに反応したブラッドさんは、数秒、深く沈黙した。やがて、彼は肩をすくめるように笑顔を浮かべながら、ゆっくりとこちらを振り返った。
「違う違う、アレス。落ち着け。俺が斬ったのは、ヨルンじゃない」
「……えっ? じゃあ、何を斬って?!」
そのとき、地面に崩れ落ちたヨルンの体から、真っ黒で粘質な霧が、一筋の影となって俺たちの頭上へと立ち昇った。
「ああああ……あああ……ああ……」
その黒い霧は、まるで強い苦痛に耐えているかのようなうめき声を上げながら、空中で形を崩し、やがて白い灰となって霧散し、消えていった。
「……おい、今の、一体何だったんだ!?」
ロキが震える声で尋ねた。
「わ、分からない……」
黒い霧が完全に消えたことを確認したブラッドさんは、顔の力を抜き、深々と溜め息を吐いた。
「はあああ〜……よし、これで終わった〜!」
「えっ?」
そう言ってブラッドさんは、大きく背筋を伸ばし、疲れ切ったように身体を弛緩させた。
「よし、これで暫くは休める。いや〜、つっかれた」
ブラッドさんはブンブンと右腕を回しながら、俺たちの方へと歩いて来る。その態度は、まるで激しい労働を終えた後のようだった。
しかし、俺は彼の背後で倒れているヨルンの存在が気になって仕方がなかった。
「あ、あの、ブラッドさん。ヨルンのことは、どうするんですか?」
「あ〜、良いの良いの。放っておけ」
「えっ?」
ブラッドさんは回していた腕を下ろすと、冷めた感情の読めない目でヨルンの方を一瞥して言った。
「もうあいつは消えるしかないから」
「……は?」
その言葉に、俺たちは息を呑み目を見張った。
「さっき消えた黒い霧は、暴食の悪魔の粒子だ。その粒子がヨルンの肉体を乗っ取って、色々と悪さを働いていたってわけ」
「じゃあ、ヨルンの体は……」
「悪魔の粒子に魔力を全て喰われた挙句、魔力の核となる雫までも喰われてしまったんだ。マナの毒によって死ぬか、それとも粒子が抜けた反動で存在そのものが崩壊するか、どっちにしろあいつには、死ぬ以外の選択肢がもう残されていない」
「そんな……」
じゃあ、ヨルンは好きでこんな事をしたわけじゃないのか。暴食の悪魔によって操られ、したくもないことを強いられて――俺の心に、わずかな同情の念が芽生え始めた。
「言っておくけど、あいつに同情するなよ」
ブラッドさんは、俺の思考を読み取ったかのように冷たく言い放った。
「あいつが言っていた『精霊を食わせたらどうなるんだろう』とか、人の命を実験台にした発言は全て本心だ。それを自分に変わって悪魔が言っていたに過ぎない。もし悪魔に体を乗っ取られていなかったとしても、いずれ同じようなことをあいつはしたさ」
ブラッドさんは、まるでゴミを吐き捨てるようにそう言うと来た道を戻り始める。
俺はそんなブラッドさんの冷酷な背中を見つめた。
どうしてあの人は、目の前の人間の死を、そしてその動機を、こんなにも簡単に、断定して突き放すことが出来るんだ?
確かにヨルンのしたことは許されることじゃない。
自分の欲望の為に大勢の人たちを傷つけて、ソフィアの力を悪用しようとした。
でもそれは全部……悪魔のせいで、悪魔の力があったからこそ、実行に移されたことだったのではないだろうか。


