ブラッドさんはそう言い放つと、握りしめた剣の切先を、静かにヨルンへと向けた。

しかし、その激情的な言葉を聞いていたヨルンは、一切悪びれる素振りを見せず、ただ心底面倒くさそうに深々とため息を吐いた。

「はぁ……。確かに僕は、兎人族と狼人族がそれぞれ恨み合い、戦争を引き起こすように仕向けましたよ。でも、今は停戦状態じゃないですか。今はもう誰も傷ついていない。それで良いでしょう?」

「……なんだと!」

ブラッドさんの怒りは頂点に達した。彼は剣を低く構え、今すぐヨルンへと斬りかかる体勢に入る。

「……おい、お前……」

すると、ロキに抱えられていたムニンが、朦朧としていた意識を取り戻したのか、うっすらと目を開け、その瞳に強い憎悪を灯してヨルンを睨みつけた。

ムニンはロキの腕から飛び降りると、立ち上がって人間の姿に戻る。その突然の変化に、ブラッドは驚いて目を丸くした。

「まさかお前……フォルの?」

ムニンは複雑に表情を歪ませながら、ブラッドさんに問いかけた。

「親父が……最愛の人を失ったって、どういう意味だ? だって、母上を殺したのは……」

「フォルじゃない」

ブラッドさんは、迷いなく断言した。ムニンは目を見張り、その場で硬直する。

「ムニン。お前が生まれた頃、あの森には原因不明の病が流行っていたんだ」

「……病?」

ムニンはその病について知らなかったのか、小さく首を傾げた。

「その病にかかった者は、誰彼構わず人を襲うようになる。自我を失った化物になって、家族であろうと、同じ仲間であろうと殺し尽くすんだ」

「そ、それ……今の竜人族たちみたいじゃないか!」

ロキの言葉にブラッドさんは静かに頷き、言葉を続ける。

「そんな中、お前は生まれてしまった。違う瞳の色を持った狼人族としてな」

「っ!」

「そんな子を見たら、誰でもお前がその病の原因だと思うだろう。だからフォルは、お前を連れてスカーレットに村を出るように言ったそうだ」

「……親父が」

「しかし、スカーレットは村を出ることを拒んだ。だからフォルは、お前たちを守るために、村から離れた位置に家を建てて、そこにお前たちを住まわせていたんだ」

「……そんな話……信じられるわけないだろ!」

ムニンはひどく動揺し、瞳を揺らしながら、叫ぶように力強く拒絶した。

「何でそんな話を、他人のあんたから聞かされないといけないんだ! 僕は、ずっと親父を憎んできた! 僕を異端だと呼び、そんな僕の母親でもある母上でさえ、あいつは簡単に切り捨てたんだ! 僕たちを守るために切り捨てただなんて……そんなの信じられるわけないだろ!」

その慟哭にも近い言葉に、ブラッドさんは左手を上げ、迷いなくムニンの左頬を思い切り平手打ちした。

乾いた音が響き渡り、その場にいた俺たち全員が驚いて目を丸くした。ヨルンでさえも、目を瞬かせながら動きを止めている。

「別に俺の話は信じてくれなくていい。でもな、フォルの思いや、スカーレットの思いを否定することだけは許せねぇ!」

「……っ」

ムニンは打たれた頬を抑えながらも、ブラッドさんを睨み返す。

「なぜ、フォルが病の話をお前にしなかったと思う? それは、スカーレットに頼まれたからだ。スカーレットは、お前が病の事を知ったら、さらに自分のことを嫌いになってしまうと思っていた。そうなってほしくなかったから、スカーレットは何も言わなかったんだよ! フォルはお前たちを切り捨てたと言っても、お前たちのことは心から愛していた」

ブラッドさんはムニンの胸倉を掴むと、ぐっと自分の顔を近づけた。しかしムニンは、ブラッドさんの目から視線を逸してしまう。

それでもブラッドさんは言葉を続けた。

「あいつの部屋には、今もお腹を大きくしたスカーレットの写真が飾ってある」

「っ!」

その言葉を聞いたムニンは、目を見張って、再びブラッドさんの顔へと視線を戻した。

「あいつは言っていた。原因不明の病が流行っていても、自分はそんなことよりも、生まれてくる子を楽しみにしていたと。あいつは後悔していたんだ。スカーレットを守れなかったことも、村を守るために自分の子供と愛しい人を切り捨ててしまったことも」

「……っ」

ムニンの瞳から、涙が溢れ出した。

「だからって、それが全部お前のせいだと思うのは間違いだ。お前は何もしていない。生まれて来なければ良かったなんて思うな。だってお前は、スカーレットとフォルから望まれて生まれてきた子なんだから」

ムニンは嗚咽を漏らしながら、涙を流しつつ強く目を瞑って頷いた。

その姿を見て、ブラッドさんは初めて優しい笑みを浮かべた。彼はムニンから手を離すと、冷たい目つきでヨルンへと向き直った。