気を取り直して検索を続けた。


だけど、読めば読むほど目を覆いたくなるような結末ばかりで、援軍が来て逆転したとか、補給物資が届いたみたいな話はなくって。

それどころか真逆。向かっていた補給船が撃沈とか、そのあとはまるで見捨てられたように追加の補給も援軍も途絶えていた。

その頃にはもう敗戦前の秒読みで、本土決戦!とか一億総玉砕!なんて時代に突入しちゃっていて、見捨てたくなくても日本から遠く離れた島にはとても気を配る余裕がなかったんだと思う。


あたしがいたニューギニア島だけじゃなく、その近くの島で似たような悲劇がいくつも語られているのを目にするだけだった。

ほとんどの地域で、戦闘にもならずにただ一方的に攻撃され、ほとんどの兵は歩き疲れて飢えと病気で息絶えたって。


生き残った人たちを取材した記事や本人の手記には、あの島で起きた惨劇がありありと残されてた。

それは、あたしの記憶とも重なった。


支給の食糧が尽きたらその辺のものを食べて、時にはお腹を壊したり中毒になったりしながら、空から降ってくる銃撃や爆弾に当たらないように進むだけの毎日だった。

銃も持たないあたしたちは敵と遭ったところで一方的に乱射されて死ぬだけ、だからコソコソと隠れて逃げて、それでもサルミに辿り着きさえすれば、きっと武器も食糧もあって、じきに援軍がきて、きっと日本が勝つ。そんな風に信じて歩いていたのに。

嘘でしょ……。
あたしは更に信じられないものを見てしまった。

サルミで、受け入れ拒否……?

同じ頃にそのサルミで戦闘があって、それどころじゃない軍はゲニムからはるばる歩いてきた兵の受け入れを拒否したなんてことが書いてあった。

そんなのって、そんなのって!
250㎞信じて歩いて、目前で拒否られるって、どんな気持ちだろう……


悲しみかな?

怒りかも。

でも、向こうも必死で戦ってるわけだから、ぶつけようがない悔しさかも。


とにかく、75年前の今日より先には、あたしが見たのよりも酷い、本当の地獄しかないってことだけがわかった。


このまま歩いても、昇さんはサルミに辿り着けない。

あたしが向こうにまた行くことができたら、このことを伝えなきゃ。


ううん、行って、伝えなきゃ!