その夜、待望の焼きガニを食べた後、早めに休んだ山根さんが、これまでにない高熱でうなされ始めた。

訳のわからないことをうわごとのように呟く山根さんを、あたしたちはやっぱりただ見ているしかできなかった。


「山根ぇ、耐えろよ、一晩耐えりゃ、なんとかなんだがらよぉ」
「頑張れ、山根、頑張れ」


だけど、あたしは見てるだけなんて、嫌だ。

天幕に潜り込んで、軍服の中に着ていたロンTを脱ぐ。

星明りを頼りに、すぐそばにある湿地へ歩いて、それを浸した。

きれいな水じゃないし、きれいな布でもないけど、ないよりはきっと…


うなされる山根さんの額に湿らせたロンTをあてる。


「それ…まさか米国旗け?」
「あ」


山根さんに何かしたい一心で、ロンTの柄の事をすっかり忘れてた。


「なんでそんなもん…」
「あの、これは…っ」
「未来には、こういうものが溢れているんだそうだ」
「……」
「ごめんなさいごめんなさい!ひっくり返します!」


あたしは慌てて柄を内側に折りたたんで、山根さんの額にそれを戻した。


阿久津さんの唇が、震えている。

怒らせちゃったかも…


「…なあ。弥生ぢゃんの話じゃぁ、日本は勝づんだろ?そんでアメリカとも仲良くやっでるって言ったよな」
「う、うん」
「負けた国の国旗を胸につげてりゃ、仕返しされねぇって寸法なのかい?」
「え、っと…そういうわけじゃ、ないけど…なんとなく柄がカッコイイから?みたいな」
「カッコイイだと!」
「ごめ……」
「……や、こっちごそデカイ声出して悪がった。でもよ……弥生ぢゃん見てると思ってしまうんだわ」
「阿久津……」
「俺、あれがらずっと考えでた。弥生ぢゃんが言っだこと。勝っでも負げてもあとで仲良くなんなら、本当にこの戦争は何なんだろうっでよ」
「阿久津さん……」
「俺ら、アメリカ人は人の姿をしだ鬼だって言われでここまで来てるんだ。けんどよ、本土にいた頃にゃジャズなんかも流行っててよ。ありゃアメリカのもんだろ」
「……」
「俺…どっかで思ってだんだ、本当にあいづら鬼なのかっで」
「阿久津、考えるな」
「だってよぉ、松田、俺らの着てる軍服だってよ、元はあっちのもんじゃねぇか。それにドイツが人間でアメリカが鬼って、俺にはさっぱり区別つがねかっだしよぉ」


阿久津さんは、優しい。

だから、あたしが無駄な戦いだって言ったことを、こんなにも抱えてしまっていたんだ。

あたし…この戦争に参加してる軍人さんたちはみんな、本当に本心から相手を憎んで、敵を殺すことに罪の意識なんかないとか、そんなふうに考えてた。

例えば映画の中で敵の命を重くみるような人は、みんな風当たりが強くて。

お国のために死ぬのが当たり前で『生きて帰る』とか言っちゃう主人公が変人扱いされてたりね。


でも、違うみたい。

向井さんだって、生きたいって言った。

そして阿久津さんも、戦うことにずっと疑問を持ってるんだ。

考えるな、って言ってる昇さんも、きっと。


みんな……

抗っても抗えない時代だから、そう。

あたしがカエルをご馳走だって自分に言い聞かせるみたいに。

お国のため、鬼畜米英、なんて言って自分を騙してるのかもしれない。


だって、相手が鬼じゃなくて人だったら、この戦争は人殺しになってしまう。

あたしのせいで、阿久津さんは蓋をしていたその答えにたどり着いてしまいそうになってる。


この時代の人が辿り着いてしまったら、とても耐えられない答えに。


異質なんだ。

あたしは、異質…

あたしがここにいたら、みんながおかしくなってしまう。


「昇さん、明日、山根さんがこのままだったら先に行くんでしょ?」
「仕方ないが、そのつもりだ」
「じゃあ、あたしは山根さんとここに残る」
「え?弥生ぢゃん?」
「…………わかった。ゲニムまでは、この川沿いだ。ずっと西に向かって、大きな河にぶつかったら渡る。その先にある」
「おい!松田、何言っでんだ!」
「わかった」
「松田!」


阿久津さんがあたしを止めるのを、昇さんが遮った。

『何があっても守る』なんて言ったけど、不穏分子で役立たずのあたしにきっと愛想が尽きたんだ。


ロンTタオルの水分で少し落ち着いたような山根さんの横で、あたしは出会ったときからここまでの事を思い出して、肩を震わせた。