俺の住んでいるマンションから、新宿までは電車で二十分ほどだが、この私鉄は勤務先の高校の沿線でもある。

 人目を気にした俺たちは慎重策を取り、別々の車両に乗り込み、目的のカフェの前で待ち合わせた。
 早目の昼食を済ませ、山手線に乗って霊園へと向かう。

「今日は東京にいないそうです、母も坂崎さんも。母は取材旅行、坂崎さんは父の仕事に同行していると」
「そうか、残念だな」

「私はほっとしました。先生がまるっと全部解決してしまったら、この時間がなくなっちゃいます。としくんと一緒の、貴重な時間が」
「別に、たまになら付き合ってやってもいいぞ。墓参りぐらい。俺は墓地が好きだ。広いし、静かだし、緑も多いし、人は少ないし、道は広くてランニングにも使えるし、たまにはひょっこり有名人にも会えるし」
「……え。もしかして、有名人って、故人のことですか?」
「そうだ、驚くなよ。谷中霊園にはな、徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜だろ、日本画家の大家・横山大観、歌人の佐佐木信綱。川上音二郎、鏑木清方、牧野富太郎、上田敏……俺は多磨霊園のほうが好みだが」

 俺の墓フェチぶりに、咲久良はあっけに取られていたが、ごほんとひとつ、大きく咳払いをして、気持ちを立て直した。
 
「お墓参りはもちろん大切ですが、私が言っているのはデートしてたり、お泊まりしたり、とにかくいちゃいちゃすることです!」

 またその話か。はぐらかそうとしたが、失敗した。
 今どきの女子高校生は、男といちゃつくことしか考えていないのだろうか? 

 咲久良のような厄介な子どもに二度と騙されないよう、俺はもっと気をひきしめて仕事をしなければならない。それなりに、教員としての社会的レベルを上げてきたように感じていたけれど、まだまだ甘かったようだ。


 JRの日暮里駅が近いというので、俺たちは日暮里で降りた。
 再開発された駅の東側はわりと近代的で成田空港へのアクセスも良いので、大荷物の外国人の姿も目立つが、西側は昭和の風景を色濃く残している。

 近くの花屋でお供え用のお花を買い、ぶらぶらゆっくりと進む。
 咲久良がしきりに目で訴えてくるので、しぶしぶ俺は手をつないでやると、咲久良は途端に上機嫌になり、鼻歌混じりで歩きはじめた。スキップでもしそうな勢いだ。

「このあたり、春は桜がとてもきれいなんですよ。なんといっても、うちは『さくら』です!」
「でも、幹がずいぶん痛んでいる。霊園創設時から徐々に植えられた木なら、そろそろ寿命も寿命だろうよ」
「そうなんですか!」

「現代の日本で呼ぶ、いわゆる桜の木は、ソメイヨシノという品種で江戸時代に人工的に作られた雑種なんだ。花は咲くが、子孫は残さない。寿命は八十年ほどといわれている」
「へえ、詳しいですね。でも、そうしたら、春に必須のお花見が、全国的にかなりピンチに陥っていますね?」

「江戸時代は、動植物の品種改良が盛んだった。改良しやすかったアサガオなんて、いい例だ。花の色、形、大きさ。今でも、さまざまな種類がある」
「楽しそうですね。来年の夏は、としくんのベランダでアサガオを植えましょう。生い茂れば、緑のカーテンになりますよ、きっと」

「あの部屋は北東向きだ。植物には適さない」
「えー。なあんだ、がっかりです。あ、ここです。うちのお墓」

 咲久良家代々の墓は、立派なものだった。
 俺の背を軽く越えている御影石が、天に向かってそびえ立っている。風雨にさらされながらも耐え抜いてきた感じある。桜の木のようだった。

「もともと咲久良家は、明治維新で功績のあった薩摩藩出身の武家なんです。名字はたぶん、『桜島』が由来です。足軽からはじまったのに、とうとう爵位を得て華族にまで上りつめました。いわゆる、下剋上な家柄です」
「ほう。となると、俺の『土方』とは、敵どうしだな。土方は、徳川幕府側について最後まで戦って散った」
「当時だったらそうなりますね。ロミオとジュリエット状態です。でも、今はもう二十一世紀です」
「同意。俺も、気にしていない」

 線香の、独特の香りが鼻につくけれど、嫌いではない。懐かしささえ、覚える。

 墓前で、咲久良は懸命になにかを語っている。小声でなにかつぶやいているけれど、呪文のような咲久良の声は風に乗ってしまい、聞き取れないが知らん顔をする。ゆっくり話せばいい、時間はある。

「どうぞ、としくんもよかったら」

 お参りを済ませた咲久良の顔は、妙に晴れやかだった。

 俺も、咲久良の次に手を合わせた。

 ……俺は、ただの恋人のふりをしている人間です。
 けれど、咲久良を助けたい気持ちに嘘はありません。色恋抜きでも、この娘のことは好ましいです。大切です。
 才能があって、やればもっとできるのに、なぜか隠している。
 咲久良家のご先祖さま、俺がこいつを、いや咲久良をしあわせに……いやちょっと違う……明るい将来へと進ませる手助けをしますので、どうかご安心を。
 取って喰ったりはしません、たぶん。
 教師の地位が惜しいので!

 最後にもう一度一礼をして咲久良のほうを振り返ると、奇妙な顔をしていた。

「ずいぶん……長いあいさつでしたね? まさか、ご先祖にさまに『私をいただきたい』とでも、お許しを乞いました?」
「そんなん、しねえよ!」

 こやつの妄想についてゆけず、ついつい大声で否定してしまった。オトナげないな、俺って。