「どうぞ」
「ありがとう」

コーヒーを出してテーブルの上に置く。
どうしていいか分からずに、立ち尽くしていると片岡さんが小さく笑った。

「落ち着いて、なんて――俺が言えるセリフじゃないけど……」
「はい……」
「――今日は、話があってきたんだ」
「……はい」

真剣な表情の片岡さんの前に、恐る恐る座る。話って――なんなんだろう。

「昔話をね、聞いてほしいんだ」
「昔話」
「そう。――ずっと前、俺には大切な女の子がいた」

――いた。
過去形になっていることに、気付く。けれど、話を続ける片岡さんに何も言うことは出来なかった。

「彼女のことが好きで……彼女も俺を好きでいてくれていた。――あの日までは」
「…………」
「19歳の時……彼女、事故で死んだんだ。――俺を、庇って」
「っ……!?」

苦しそうに、片岡さんは言葉を吐き出す。そんな片岡さんを見て、心臓がドクンと音を立てるのが聞こえた。

「どんどん反応がなくなっていく彼女の身体を、ずっとずっと抱きしめていた。それ以来――俺は、人を好きになれない。なっちゃいけないんだ。そう思い続けてきた」
「片岡さん……」
「でも、本当は分かっている。そんなこと彼女は――実穂は望んじゃいないって。でも、俺が俺自身んを許せないんだ! 実穂が死んで、俺だけが生き残って……なのに俺だけが幸せになるなんてそんなこと……!!」

どんどんと大きくなる心臓の音。そして――次の瞬間、私は、片岡さんの身体を抱きしめていた。

「翼ちゃん……」
「…………」

なんて言っていいのか分からない。でも……こんな風に、苦しそうに涙を流さずに泣いている片岡さんを放っておけなかった。

「ありがとう……」

そう言うと、片岡さんは私を見上げた。

「俺きっと、翼ちゃんのこと好きだよ。――1人の女の子として」
「かたお、かさん……」
「でも、ダメなんだ……。どうしても、実穂のことを忘れることが出来ない。彼女のことを忘れて、幸せになることなんて――俺には出来ないんだ」

ごめんね、と片岡さんは微笑む。悲しそうに、でもどこか満足そうに。

「だから――翼ちゃんには、俺のことなんて忘れて、幸せになってほしい」
「そんな……」
「こんな、いつまでも過去に縋りついてるような奴……」
「っ……」

私の身体をそっと押し返すと、片岡さんは立ち上がった。

「あの……!」
「――幼馴染のさ」
「え……?」
「あの人、翼ちゃんのこと本当に好きなんだね」
「なにを……」

片岡さんが何を言おうとしているのか、分からない。
でも、そんな私の気持ちなんてお構いなしに片岡さんは言葉を続ける。

「あの人ならきっと……翼ちゃんのことを、幸せにしてくれるよ」
「そんな……」
「俺なんかより、ずっと……だから……」

「嫌です!!」

自嘲気味に笑う片岡さんの言葉を遮ると……私は叫んでいた。

「嫌です!! 私は、私は片岡さんが好きなんです!!」
「翼ちゃん……」
「他の誰かが私のことを好きになってくれてもダメなんです! 片岡さんじゃなきゃダメなんです!!」
「なんで、そんな……」
「分かりません! 分かりません、でも……あなたが好きだとそう思う私の気持ちまで――否定しないでください……」

そこまで言うと、涙が溢れてくるのを感じた……。

「幸せにしてほしいんじゃない……。私は、あなたの傍にいたい。あなたのことを、幸せにしたいんです……」
「っ……」

苦しそうに眉を歪める片岡さんの手を、そっと握りしめる。一瞬ビクッとしたけれど……振り払われることはなかった。

「待ってちゃ、ダメですか」
「え……」
「何か月でも、何年でも……あなたが亡くなった彼女のことを思い出に出来るまで……待ってちゃダメですか……?」
「――どれぐらいかかるかわからないよ」
「いいです!」
「何十年先になるかも……」
「それでも! 私の気持ちがあなたを好きだと思う限り、待ちたいんです!」
「翼ちゃん……」

握りしめた私の手を、片岡さんがそっと握り返した。

「負けたよ……」
「片岡さん……?」
「おばあちゃんになるかもしれないよ……?」
「大丈夫です、私しぶといんで!」
「翼ちゃんに好きな人が出来るかもしれない」
「――その時は、その時です」
「なんだそれ」

片岡さんは笑う。
以前のように、ううん。以前より自然な雰囲気で笑う。
これがきっと、彼本来の笑顔――。

「じゃあ、待っていてくれるかな。いつまでかかるか分からないけれど……」
「はい!」

握りしめていた手を片岡さんがそっと引っ張ると、私の身体は彼の腕の中に包まれていた。

さっきまで早鐘のようだった心臓の鼓動は、優しくトクントクンと身体の中で鳴り響く。優しく、優しく――まるで心臓の鼓動すら、彼のことを包み込むように静かに鳴り響いていた。